HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』35

●桂歌之助、復活!(1997年8月31日)

主な事件
 ・宅見勝っちゃん葬儀、ダイアナとデパートのドラ息子事故死
 ・桂歌之助、ワッハ上方で独演会

1997年

8月31日(日)
 このところ日曜日はゴロ寝の日である。翌日からのサラリーマンとしての仕事を最優先するからである。ともかく、出歩くと疲労が残る。
 という訳で、一歩も出ないつもりでいたが、周囲がそうはさせない。
 まず、山口組ナンバー2・宅見勝っちゃんの葬儀が、午後、自転車で10分もかからぬ同じ区内であるという。人間の屑どもが蝟集しそうな。……この際、ウジ虫どもをデジカメにおさめようと自転車で出かけようとしたら、家内が泣いてとめる。断念。
 はっきりいうが、ヤクザは人間の屑(ということは五十嵐とか今岡と同じ)なのだから、まともな葬儀などやる必要ないのだが、これもシノギかね。
 ……それにしても、こんな単純なミステリーはないなあ。通夜と葬儀に来ないのが犯人なんだからなあ。
 ということで、葬式見物をやめて、「ワッハ上方」の桂歌之助独演会へ出かけようとしたところへ、ダイアナ事故死の臨時ニュース。歌やんの神通力復活である。
 桂歌之助のパワーというのは、独演会をやると大惨事が起こるというジンクス。これは有名なので詳しくは書かないが、初舞台になるはずだった天六会館(! ナンバー2の葬儀場とは別だが、近くにあった。これも因縁か)が1970年にガス爆発で吹っ飛んで中止になったのを皮切りに、次の会はお寺が火事で中止。その次がやはりお寺で、前夜住職が休止でとりやめ。さらに、大融寺の会が、千日デパートの火事で死体収容所と化したために中止。
 その後、独演会をやるたびに世間で惨事が起こり、「逆噴射」の飛行機墜落、東急ホテル火災、その他数えきれず。アンドロポフ死亡も独演会の日でした。あまりに凄いので、ぼくは歌やんをモデルに「笑いの崖」という短編を書いたのでありますが、その後、かれの独演会にゲスト出演を予定していたら、その日、ぼくの父が死にました。
 まあ、それくらい凄いのです。
 今年2月からふた月ほど、膵炎で入院。復帰後の本格的な独演会が8月31日となったわけでありますが、歌コパワー復活ですなあ。
 願わくば、歌コパワー、やっちゃん撲滅のために発揮してほしいものであります。
 午後2時。「ワッハ上方」へ。この会場ははじめてである。
 歌やんの会としては、まあまあの入りである。(下の写真の通り。ほんと、よく入ったほうである)
 演題は、桂 吉弥「七度狐」
      桂 喜丸「うなぎや」
      桂歌之助「ねずみ」
      対談、桂米之助×歌之助「大阪今昔」
      色物歌謡! アンタッチャブル
      桂歌之助「猫の災難」
 米之助師匠は米団治の弟子で、米朝師匠のちょっと兄弟子にあたる人。頭脳も話術も記憶力も明晰で、さすが米団治一門と感心する。
 下の写真は米之助師匠と歌やん。
 「断酒中」の歌やん、「猫の災難」の酔っぱらいぶりは見事でありました。

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 波乱の8月末日は終わる。


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