『マッドサイエンティストの手帳』34
●マッドサイエンティスト日記(1997年8月後半)
主な事件
・神戸の銃撃戦、大阪へ飛び火か?
・山下洋輔×小山彰太、14年ぶりの競演
1997年
8月16日(土)
書庫で広島でのSF大会でディーラーズルーム用のソリトンを荷造り。宅配便の取次店が軒並み盆休である。月曜の発送を依頼して、午後、帰阪。
8月18日(月)
ちょっとしたワケアリで午前2時30分、徒歩5分の大淀警察署へ行く。
ミステリーを書くことはないだろうから、あまり勉強にはならない。
8月19日(火)〜22日(金)
サラリーマン稼業多忙。
8月23日(土)
広島往復。あきこんに参加。
8月24日(日)
終日ゴロ寝。こうしないと、明日からの勤務に響く。そういう年齢になってしまったのであります。噫……。
8月26日(火)
某季刊PR誌にショートショートを電子メール。と……この1年間ほど、原稿料の請求がないので、まとめて送ってくださいとの連絡。いつもギリギリでメールかFAXだから、忘れいてたのである。メーカーだから、原稿にも「納品請求書」を起こす必要があるのだった。サラリーマンの立場としては、絶対にこんなミスはやるはずないのだが、作家としてはズボラなのである。が、忘れていた入金があるのは嬉しいものである。
8月28日(木)
ちょっとワケアリで某銀行地下の貸金庫室に入る。ミステリーを書くわけではないのだが、面白い。
8月29日(金)
夕方帰宅、自転車で梅田を抜けて「ハチ」へ。昨日、新神戸オリエンタルホテルで宅見勝っちゃんが射殺されたので、銃撃戦が大阪へ飛び火するのではないかと落ち着かない。やるとすれば千日前・西成間らしいのだが、上部下部がそこいら中に点在しているから、どこで始まるかわからない。だいたいが、オリエンタルホテルのロビーで始まったのだから、大阪市内、安全な場所など皆無と考えた方がいいようだ。
ハチの向かい側は今は空き地だが、バブル前までは、何流というのか、独特の書体で作られた看板が掛かってた事務所があったのである。
開演直前到着で、いくら26番のチケット持っていても、もう席はありまへん。いちばん後ろで壁にもたれての観戦。……結局、最後まで演奏中のお姿は拝見できませんでした。トホホ。
しかし、ともかく音であります。「真夜中過ぎ」から始まって、数曲。小山彰太さんとはじつに14年ぶりということですが、聴く方の実感としては2、3年ぶりのような気がしてなりません。おなじみ「キアズマ」など。
……ええっとですね、ぼくが小山彰太さんのドラムを初めて聴いたのは、1975年秋、ハチで沢井原児クインテットのドラマー時代でしたから、もう20年以上か。と感慨に耽るヒマもなく、休憩なしのノンストップ3部構成……1部と2部の境目がどこかよくわからなかったのでありますが……3部にランディ・コナーズという若いアルトがゲスト参加、往年のトリオ構成になりました。「My one and only love」「増減」とオリジナルの3曲。 この「増減」というのは小山さんの作曲で、音(主に音量が)増えたり減ったりするという、なんともけったいな曲。最後の方などゲラゲラ笑ってしまいました。
後ろにいたおかげで、いいこともありました。出番直前のランディをデジカメに納めましたが、これがわがデジカメ作品としては抜群の出来映え、そのままCDジャケットに使えそうな雰囲気なのです。下の写真がそれ。
演奏終了21時過ぎ。ヤノピ様演奏会場としては「世界でいちばん人口密度が高い」会場から表に出て愕然。小山彰太さん、見事にスキンヘッドではないか。3年前はモヒカン風だったのだが……これでドラム叩く姿は見たかった。
岡田信子ご夫妻に会う。ご主人なる方はなんと守安祥太郎に(特にヘアスタイ ルが)似ている。
いろいろ古い知人が来ていたので話したかったのではありますが、ハチママの 仕切で(本日は従順たらざるをえません)「てころ」でビール少し。写真、手前からGジーャマネ、小山彰太、山下洋輔、ハチママの各氏。後がランディとヤツガレ。
ランディのフルネームは RANDALL.L.CONNERS で、RANDYといえば、神戸に住んでいれば神様扱いで人気があるだろうと聞くと、イギリスでは「すけべえ」ということらしい。本当であろうか。
神戸へ帰るというランディ(神戸在住で奥さんは日本人。日本語は達者)を阪急梅田まで案内して、早めの帰宅。銃撃戦はまだない。
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