『マッドサイエンティストの手帳』126
●グレッグ・イーガン『宇宙消失』『順列都市』
たまにはSFのことも書かなければ……。わがホームページ、「SFホームページ」と称しているのに、このところ身辺雑記ばかりで、これでは看板倒れになりかねない。たまにはSFのことも書かねば。わしゃ、読むことは読んでおるのです。色んな新人が登場していますね。
グレッグ・イーガンを今頃……といっても、まだそう遅くないと思う……読んだ。
『宇宙消失』……タイトル(邦題)からは小松左京の「首都消失」を連想するが、のっけに思ったのは「こりゃ、四次元版・宇宙版の『物体O』ではないか! であった。
太陽系が特異な性質を持つ球状の「闇」でとつぜんスポッと覆われてしまう。闇の球体は直径240億キロ。太陽を中心にこいつが出現する場面の描写も素晴らしい。
内側から見るとさの境界面は事象の地平線らしい。つまり、とつぜん太陽系が宇宙から孤立した「宇宙」になってしまったという設定。……この球体はむろん観念的天体で、レムが「金星応答なし」に登場させた謎の球体の系譜である。……ぼくもこの種のが好きで、一度重力を持たない「完全な闇」を設定したことがあるが、あまりうまく行かなかった。
さあ、イーガンはどう処理するか。
どう考えても、これは『物体O』の太陽系版と思うでしょ?
ところが、これが動けないはずの患者が病室から消えた……依頼を受けてその行方を追うという、正統派ハードボイルドの展開になる。これはこれで面白い。サイバーパンク以来の電脳活劇だが、依頼人からの指示を逸脱して「おれの人生にとって、なによりも重要なものだった」と事件に巻き込まれていく呼吸、ハードボイルドをよく知っているなあと感嘆。
アイデアについては、前野“マッドサイエンティスト”昌弘博士の解説が見事。まあ、詳しく描くとネタバレになるから触れませんが、ぼくは最初の患者の「壁抜け」で、ガモフの「不思議の国のトムキンス」を懐かしく思い出しました。つまり、量子力学的大ボラSFなのである。
本当は、宇宙SFとして、球面ギリギリの宇宙空間で展開してほしいところ。
バクスターだともっと広大な空間でやるのだろうな。
ただ、イーガンの資質は量子力学、それにサイバーパンク以降の……というよりも「ブレードランナー」以降のVR感覚が色濃く、この雰囲気が得意なんだろうなあ。
クライマックス部分、視覚的効果を無視してまで延々と議論が続く。このあたりも、(ホイルの「10月1日……」がそうですが)小説的完成を犠牲にしても理論的展開を優先したいという情熱がひしひしと伝わってくる。
新世代のハードSFここに誕生、というところ。
つづいての「順列都市」でもその印象は変わらない。
視覚化が難しいアイデアだが、案外「マトリックス」の技法でなら影像化が可能かもしれない。
ぼくは原文の評価ができないので、翻訳の評価は無理なのだが、山岸真氏の訳文はハードSF独特の雰囲気を伝えていて好感が持てる。山高昭さんの死後、柴野さんがずいぶん頑張ってこられたが、ハードSF、本格SFなこの人という翻訳家誕生の気配である。情熱が感じられるのがいい。「順列都市」の、ややこしい言葉遊びにここまでのめりこむ訳者を得たこと、イーガンくん、もって瞑すべし。
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