HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』123

●マッドサイエンティスト日記(1999年10月前半)


主な事件
 ・「梟の城」と「マトリックス」は対照的な作品である。
 ・30年ぶりの同窓会
 ・桂文我さん「落語百席」を達成!
 ・3連休の肉体労働、体ガタガタ
 ・小松左京賞創設

1999年

10月1日(金)
 朝刊に池宮彰一郎「島津奔る」が柴田錬三郎賞の記事。前に「某賞受賞間違いなし」と書いたのは、シバレン賞を想定して書いたのである。予想ズバリ的中である。おめでとうございます。
 ボンクラサラリーマン略してボンサラ、誠実に仕事。
 夕方、サンケイホールへ。
 「梟の城」試写会。
 篠田正浩、中井貴一、鶴田真由の舞台挨拶あり、キャーキャーと声をあげるほどの「アイドル」ではあるまいに。大阪の女性客、軽薄である。
 off

 それにしても、サンケイホールも古くなったなあ。映画を見るのに、前席に「座高が高くて姿勢のいい」のが座ると、苦労するぜ。
 午後9時半頃に終了、文化部のF堀記者からコメントを求められたが、文章の方が早いでしょうと、まっすぐ帰宅、午後10時半に電子メールを送る。
 その抜粋……
・篠田監督作品では、三十五年前の「暗殺」で部分的に「一人称映画」という実験的映像が試みられていたが、今回の実験はSFXということになるのだろう。「忍術」で「架空の映像の誇示」するのでなく、忍者の肉体的動きに連動して画面に溶け込んでいるのに感心。日本映画としては大健闘。
・しかし、本音をいえば、このCG技術、山田風太郎の忍法帖シリーズに使われたら面白いだろうなあ。
・中井貴一の「美男忍者」は市川雷蔵の「忍びの者」以来のはまり役であろう。が、今の日本、もはや若い役者の体型が時代劇には向かなくなっている。チャンバラ専門の役者がいなくなったのは寂しい限りだ。専門ではないが、松方弘樹あたりまでではないか。……昔は、日本の男優は兵隊、女優は女郎をやればみんな似合うといわれたものだが、体型がよくなりすぎたのだろう。今はヤクザ(チンピラ)や娼婦ならみんな似合う。
……などと思ったのだが、後日『マトリックス』を観て、CGと肉体の動きの連動がここまで到達したのかと仰天した。(「自分は何者なのか」テーマは「梟の城」と共通テーマ。しかし、マトリックスのラストの精神主義……というよりオカルト趣味?はいただけない。なんとも古めかしいことよ)
 『マトリックス』の技術で山田風太郎を映画化してくれないものだろうか。

10月2日(土)
 ボンサラ、休日なれど雑用あって自転車で会社へ。
 午後、30年前に数年間過ごした石橋の母校へ。
 30年ぶりの同窓会に出席。
 明日の肉体労働に備えて、二次会は遠慮して夕方帰宅。

10月3日(日)
 昼間のビールが効いて早寝したために午前1時に起床。昨日の同窓会のレポートを書いてホームページにアップする。
 6時過ぎの快速で姫路経由播州龍野の実家へ。
 夕方まで「肉体労働」。
 夜帰阪。
 西木正明「夢顔さんによろしく」読了、傑作である。大変な労作であり、おそらく西木氏の代表作であろう。もっと反響があっていい作品だと思うが……。

10月4日(月)
 事情があってパソコンの買い換えを検討しているが、台湾の大地震で値下がりのペースが読めなくなってしまった。年末商戦が終わるまで待つのが賢明か。
 夜、梅田松竹で『マトリックス』を観る。先月、ホシヅルの日に、試写を観たばかりの南山宏、山田正紀、高橋良平の3氏が誉めていたので、当日の話には耳を塞いでいたのである。……むむ、「梟の城」より先にこれを観ていたら、印象はだいぶ変わっただろう。それにしてもラストが甘い。

10月5日(火)
 ボンサラ、誠実に出張。車中、CDから落としておいた、山下洋輔NYトリオの『フラグメンツ』を聴く。
 夜帰宅、ビールを飲んでいたら、「専属料理人」が、誕生日を覚えていてワインをくれたのはボンクラ息子その1だけだと嫌み。……誕生日が嬉しい歳ではなかろうが。無視しているのはわしの気遣いである……といっても、忘れていた事実はごまかせんなあ。


10月6日(水)
 ボンサラ、誠実に仕事。つまらん日である。


10月7日(木)
 ボンサラ、誠実に仕事。
 夕方、ワッハ上方へ。
 桂文我さんが続けてきた落語百席の「百席完結」の日である。3席ずつ33回。したがって本日の「1席目」が百席目である。……この百席目が何かというのがファンの間で話題になっていた。◎「百年目」〇「百人坊主」▲「立ち切れ線香」あたりだったが……演じられたのは意外にも「尻餅」。しいていうなら「大晦日」という区切りであろう。
 中入りを挟んで、最後にリクエストで百席の中から一席を演るという趣向。
 ぼくは「遠慮」「気の毒」もあって別ネタを投票したのだが、リクエスト1位はやっぱりというか「地獄八景」。
 文我さん、ある程度「覚悟」はしていたらしい、冥途筋で「来たばかり」の淡谷のり子が出てきたり。よどみのない語り口で文我版「地獄八景」はひとつの完成であろう。
 ネット常連の法螺尾福海氏といっしょになり、近所の焼き鳥屋でビール。

10月8日(金)
 ボンサラ、誠実に勤務。つまらん日である。
 夜、播州龍野に移動、明日早朝から「3連休」の肉体労働に備えての現場入りである。

10月9日(土)
 朝7時から「別荘」で孤独な肉体労働。……どんな肉体労働かというと、まあ、タイムマシンを組み立てているとでも思ってほしい。そういえば、某取引先の先代会長はもう亡くなられたが、唯一の道楽が「人力ヘリコプターの開発」で、でかい体育館並みの建物を占有されていたという。極秘の道楽で、見せてもらう機会がないままになった。あの跡はどうなっているのだろう、などと思い出しつつ……夕方6時まで。
 ビールがぶ飲み。

10月10日(日)
 体育の日にふさわしい快晴である。
 朝6時から夕方5時半まで孤独な肉体労働。
 ビールがうまい。

10月11日(月)
 朝7時から孤独な肉体労働。右手人差し指の先端をちょっとばかり負傷。昼までで終了とする。
 今年の9月が暑かったせいで、柿の実りが早く、幾つか貰う。
 昼過ぎのジーゼル車に乗り、姫路経由、午後3時に帰宅、体ガタガタである。

10月12日(火)
 ボンサラ、体ガタガタなれど誠実に仕事。つまらん日である。

10月13日(水)
 ボンサラ、筋肉ギチギチなれど誠実に仕事。つまらん日である。

10月14日(木)
 ボンサラ、血圧グツグツなれど誠実に仕事。つまらん日である。
 夕刊に「小松左京賞」創設の記事。
 記事によれば、主催は角川春樹事務所、後援が宇宙開発事業団など。350枚以上の未発表長編。プロアマ問わず。締め切り2000年5月5月10日……あと半年ちょっとだ。選考委員は小松左京氏。
 ……小松左京賞というのはSF賞としていつかできるとは思っていたが、何の予告もなしにとつぜん発表された印象である。
 ※その後、新聞広告、イオなどから確認できたことを付け加えると……
 ・最終選考は小松左京氏ひとり。
 ・賞金は100万円。
 ・新人発掘は小松さんの希望という。
 ぼくは漠然と、既刊のSFから選ばれる賞で、本格SF……第一回の受賞者は谷甲州あたりではないかとイメージしていたのだが。むろん何年か先のこと。
 SF新人賞が選考中だけに、「SF、ファンタジー、ホラー」と、間口を広げてあるが、新人賞とはちょっと意外だ。
 江戸川乱歩賞と並ぶ新人賞に育ったほしいものである。

10月15日(金)
 ボンサラ、皮膚ゲテゲテなれど誠実に仕事。つまらん日である。
 寝屋川の某社研究所、京阪でゴトゴト往復。
 特許の明細書作成を依頼されているのだが、社内は落ち着かず、土日に持ち越しである。


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