『マッドサイエンティストの手帳』122
●同窓生諸君!(ごく内輪のレポート)
このページにはだいたいプライベートことばかり書き散らしているのだが、今回は特に身勝手なレポート。つまり、「30年ぶり」という同窓会の報告である。出席者約35名と残念ながら欠席というメンバー向けのごく内輪のレポートなのであります。ご容赦ください。
シグマの44関係
1999年10月2日 13〜14時 母校見学
15〜17時 懇親会
気がついたら卒業して30年経過していた……ということで、発作的に、じゃなかった幹事数名が色々と準備してくれて、同窓会が開かれた。
ぼくの場合、同窓会というと2バージョンあって「入学バージョン」と「卒業バージョン」である。今回は卒業バージョン。ははは。
まず、母校に参拝しようというわけで、午後、通いなれたる坂道を丘陵どんずまりにある建物へ。わが学部は今やいちばん古めかしい部類で、時を閲すると風格が出るという種類の建造物でないのが情けない。
機械工学科という無骨な学科で、旋盤やフライスは当時のまま。どちらかというと職業訓練所の雰囲気である。
幾つかの研究室を見学、油圧の振動テーブルの上にルームランナーが置いてある。
何かというと、「一種のバーチャル・リアリティ」研究装置。
月面走行車などの動作解析をするための疑似環境……つまり凸凹道に相当するものらしい。宇宙作家クラブ員としては参考になるなあ。
人気は奥にあるドイツ製のレーザーによる簡易金型試作装置で、関係者、たちまち質問責めを行っているが、どうも金型試作費を安くあげようという職業意識からとしか思えない。……「おーい、もうレポートは書かなくていいんだぞ」の声もあり。
確かに毎週の製図と実験レポートはしんどかった。
わが学科はMITをモデルにしたとかで、やたらカリキュラムが厳しかった。
この際本音をいっておくと、ぼくの場合、会社に入ってからの方がずっと楽だった。
特に、田舎の工場実習では夕方から夜中まで6時間も自由な時間が生じた。周囲は田舎でなにもない。「盆踊りの稽古に出てこい」などというのを無視して、ともかく会社に入ってやっとSF執筆が再開できた。それがデビュー作になったのである。
……などという話をしたら、同感だといってくれたのが数名。わが社だけが楽だったのではないらしい。
もう学生時代には戻りたくないなあ。
母校参拝の後、懇親会。
わしゃこのHPに書いているからと近況報告は省略させていただきました。
社会人30年(28年もいれば10数年もいる)というと色々たいへんである。
リストラするもの、されるもの、されかかっているもの、雇用を確保して経営を建て直すのが真のリストラと説く経営者(←あなたが一番立派であります、U村くん)など……。
異彩を放っているのは当時から学部の教科とは関係なく「空」を目指していて、初心貫徹、国際線パイロットのK島くんでしょうなあ。
私生活もまちまち。「新婚」がいればもう「おじいさん」になったというU山くんまで。……そのU山くん、10年ほど前だが、イギリスをバスで移動、料金が安いので調べてみると子供料金だったという。(まあ、雰囲気が池乃めだかに似ていることもあるけど)今も孫がいるとは信じがたい雰囲気である。
概して子供が大学生から社会人になりかけというパターン多し。変化の激しい時期である。
で、また2年先くらいにやろうということで記念撮影。
諸君、「原画」のでかいのが必要な場合シグマ記念写真←ここクリックして下さい。時間ばかりかかってたいした画像ではありませんが。
その他の画像については、直接ぼくにメールでご連絡下さい。すぐお送りいたしやす。
ボンクラサラリーマンたるぼくは翌日に肉体労働が控えているために二次会は欠席、午後8時頃に眠ってしまった。で、午前1時に起床、起きて書いたのがこれ。
レポートは早くというのは学生時代からの強迫観念であろうか。レポートは早くSFは遅く……
幹事の皆さん、ご苦労様でした。
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