『マッドサイエンティストの手帳』12
●キツネ目男、恐るべし
宮崎学「突破者」(南風社)
多感な少年期ならともかく、五十を過ぎると、生き方を揺さぶられる本には滅多に 出会えません。年間百冊ほど読んで一冊あるかないか。感心はするが感動はしないと いうことでしょう。そんな中で自分の生き方をちょっと揺すぶられたのが本書。本年 度のベストワンでしょう。
本の帯からは、グリコ森永事件で「キツネ目男」に擬せられた男の手記のような印 象ですが、これは修羅場を生き抜いた特異な男の戦後史。京都のヤクザ組長の息子と して生まれ、非差別社会に育ち、喧嘩に明け暮れ、大学時代(こんな環境で受験勉強 をしたというだけでも驚異だ)の左翼運動、さらに週刊誌記者を経験した後、「家 業」を継ぎ、関西の裏社会に関わる。現実に銃弾を浴びた経験を含めて、キツネ目男 の被疑者経験などほんの一エピソードに過ぎません。(ついでながら、著者近影を見 ますと、キツメ目男の似顔絵は宮崎氏をモデルとして作られた気配が濃厚です。そし て被疑者となっても不思議でない背景もあるのですが……)日共の裏ゲバルト部隊の 活動、京都花柳界の裏面、公安捜査、関西の闇経済など、はじめて明かされる裏社会 の実態だけでもノンフィクション数冊分の価値があります。読後感は意外に爽やか。 著者の権力の驕りに対する怒りとしたたかな抵抗ぶりが一貫しているからでしょう。
一言でいえば「かなわんなあ」。逆立ちしてもこんな経験はできない。真似たいも 思わないが。凄まじい裏社会を腕力と知力で生き抜き、しかも深い洞察力と豊かな表 現力を備えていた。こんな奇跡的な例は、近年では梁石日「夜を賭けて」(通称アパ ッチを描いた大傑作)しか思い浮かびません。これに比べれば、前科を売り物にする 小説家の作品など薄い水割りでしかない印象です。
著者はぼくと同世代。同じ戦後五十年を生きながら、しかもかなりの期間、関西と いう近い地域で生活していながら、まったく接点がない。ぼくは進学校・理系教育・ メーカー技術者・SFとまるで無菌世界の育ち。書いているものを含めてボンボンと いわれればそれまでてある。しかも、著者はまだ修羅場のさなかにいる気配だ。近未 来の汎アジア的展望まで開示しているところが凄い。「突破者」の迫力に圧倒され、 自分の五十年が揺らぐ。「かなわんなあ」とは思う。決して関わりたい世界ではな い。しかし、おれはおれの世界で何かやらにゃいかんなあ、という気持ちが湧いてく る。そこがいいのです。蛇足
類書……「修羅場を生きた男の迫力」ということでは、
「鞍馬天狗のおじさんは」(アラカン一代記の竹中労による聞書)
梁石日「夜を賭けて」
宮崎学「突破者」
と並べて、これがこの二十年間のベスト3ですね。
いずれも、とても真似ができない。アラカン、竹中労を加えて計4人、
ただただ恐れ入った人たちであります。
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