『マッドサイエンティストの手帳』333
●ハイの蔓延について
5月1日(日)メーデーの早朝、ボケーっとテレビを見る。 日曜朝5時、『日本の話芸』再放送を見ることが多いが、本日は「ジャパネットたかた」(買わないけど好きだねえ)、これが終わって某局に切替、こちらも通販番組だが、やっとる連中が清水アキラを下品にしたみたいな、モロにテキ屋風貌で、商品までいかがわしく見えてくる。……その意味では、ジャパネット、たいしたものだと思う。
あ、通販が本題ではない。
テキ屋風のおっさん、新型フライパンで焼いたステーキを「外で食べたら1万円はしますよ」(ファミレスとしか見えない焦げ目!)などといいつつを頬張って、「ぜひお薦めします、ハイ」
この「ハイ」が気になってしかたがない。
ここまで蔓延してきたか。
おれはふだんあまりテレビは見ない。ニュースと早朝番組くらい。その限りでの感想だが……。
「ハイ」が急に広がりだしたのは宮里藍という女子ゴルファーのインタビューがきっかけではないか。
ニュースで何度も見たが、インタビューに独特の硬質な声で答えて、最後がいつも「……です、ハイ」
この「ハイ」が気になって気になって。
この「ハイ」は、文章でいえば「句点」というよりも「改行マーク」として使われている印象を受ける。宮里のコメントを文章に起こせば、句点は3つか4つ入っているはずだから。
宮里の「ハイ」は、ひとつのパラグラフがここで終了するという念押しなのであろう。
その限りでは、宮里藍に非難されるところは何もない。
彼女なりに考えて自分の言葉で話しているのであり、たいへん聡明な人だと思う。
ただ、この「ハイ」は耳障りっつうか……。
文章で何かを主張する場合、パラグラフの最後に「はい」をつけるのは、論争で相手をからかうか(おれのいうこと、理解しとるだろえね、えっ)、自説に自信がないから自分で念押しする場合に限られるからだ。
たとえば、おれの持論。
「今岡清は史上最大のアホである」
これは自信をもっていえる。
これを、
「今岡清って史上最大のアホだと思いますよ、ハイ」
といったのでは、話した相手に「世間の常識を知らないんですか」といっているようでもあり、また「ぼくはそう思うんですけど、同意してよ」と媚びているようにもとれる。
断言に見えて、揺らいでいるんだよねえ「ハイ」は。
ただ、最近気になったのは、この「ハイ」が、先日来、福知山線脱線事故で怪我をした被害者や死亡した家族のコメントに散見されたことである。
被害者にたいしての揶揄では決してない。
むしろ、同じような質問ばかりするレポーターにたいして、「私の感想はここまでです!ハイ!」とそれ以上の質問を拒否している印象を受けたのである。
さすがに今回の事故、現場に芸能レポーターというクズはいなかったようだが。
考えてみれば、宮里藍も、試合が終わるたびに、毎度同じ質問ばかり受けてうんざりしているのだろうなあ。
要するに、この「ハイ」の蔓延、おれはアホのテレビレポーター側に責任があると思うのであります、ハイ。
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