『マッドサイエンティストの手帳』292
●マッドサイエンティスト日記(2003年12月後半)
主な事件
・滝川雅弘月例ライブ(16日)
・ダイナマイツ いずみホールライブ(18日)
・『桂歌之助』増刷決定!(20日)
・「桂歌之助を偲ぶ忘年パーティ」(22日)
・今年のライブ聴き納め、ニューオリンズ・ラスカルズ(27日)
・タイムマシン・プロジェクト10周年(30日)
2003年
12月16日(火)
定刻4時に起床、早朝のニュースで「フセインの隠れ穴」を見るが、まるで防空壕。閉所恐怖症気味のわしには、10分も耐えられそうにない。小金ちゃんもああなるのかなあ。
わが「穴蔵」の方がはるかに快適である。
ということで、終日穴蔵。
夜になって這い出る。
SUBで滝川雅弘カルテットの月例ライブ。
おおっ、ほとんど満員……といっても20人に満たない客数だけど。
本日は、ベースが原満章さん。……西山のおっさんも来ていて、半分ほどは西っしゃん。
ボーカルの宮脇知子さんも来ていて最後に1曲。
早めのクリスマスの雰囲気であった。
12月17日(水)
『桂歌之助』の反応がいい。
午前中、ネクタイ仕事で市内ウロウロ。
帰宅すると、郵便振替で○十冊の注文。
梱包資材がなくなって、近所のヤマト運輸へ買いに行く。
荷造りしかけたら、青空書房の坂本さんから電話。追加の連絡である。
小口を郵便局へ。
次にヤマト運輸へ。
今度は青空書房へ。
……お歳暮配達のアルバイト気分である。
○冊確保しておいて下さいというメールも。
編集委員間で電話、冊数の確認。うーん、年内に完売の可能性なきにしもあらず。
セイコープロセス(印刷所)に電話、増刷の場合のコストを検討する。
オフセットだから、増刷は割高になるのだが……まあ、ありがたいことである。
ネットの「ぽん吉」くんからメール。昨夜9時頃、ルン吉くんに会いましたよという情報提供。ホワイティ梅田を泉の広場方向へ歩いていたらしい。最近は地下街が多いのか。自転車でウロウロしていても会えないはずだ。……先日の阪急百貨店前の植え込みの死体がルン吉くんでないかと心配していたのだが、「悠々と歩いていた」らしいから、まあ元気でいてくれるのだ。
よかったよかった。
12月18日(木)
穴蔵に籠もっていたいが、本日も昨日の続きで出たり入ったり。
本町まで行ったついでに、午後、かんべむさし氏の仕事場で雑談、本日も「だみだこりゃ〜」検討会議となる。
夕方から、専属料理人とJR環状線・大阪城公園、いずみホールへ。
久しぶりに大阪でダイナマイツの演奏。
「いずみホール ライブ / LIVE! The Dynamites」
アサヒビールが協賛していて、ロビーでビール、ワインのフリードリンクのサービスがある。これはいいなあ。グラスワイン、白赤1杯ずつ。
過去の3枚のCDから10曲ほどと、クリスマスにちなんだメドレーも。
本日、後藤勇一郎さんのヴァイオリンが突出して響く感じ。他のメンバー3人が日帰り、後藤さんだけ大阪泊としい余裕からか。
アンコールはグラッペリの曲で「Minor Swing」……この曲がいちばんダイナマイツらしいなと再認識。というか、最初のCD「colorssic」にコンセプトが濃縮されていて、中の数曲が今でもCMのバックで流れているという息の長さからもわかる。
20:30と比較的早い終演。
環状線で梅田へ。
どこかで食事というのも面倒になり、ヨトバシの地下へ。夜10時まで営業している。ここで食料購入、家でワインを飲むことにする。
大阪駅の「いかりや」が明日オープン、阪急に「成城石井」があるから、ヨドバシ、電器ではひとり勝ちだが、地下の食品売り場は苦戦しそうである。
12月19日(金)
昼に近い朝、某紙の某記者が来穴蔵。『桂歌之助』に関しての取材である。……詳細は記事の掲載がはっきりしたら紹介予定。
本日も出荷作業。
桂米朝事務所から電話。○十冊届けることにする。
郵便振替で○十冊……ひとりで30冊という注文があり、これはさすがにお礼をかねて電話。まったく面識なかったが、落語に関して特異な経歴をお持ちの方らしい。
青空書房の坂本さんから、またも追加の電話。
夕刻、小牟田氏と電話、増刷の検討。
肉体労働をするとビールがうまい
専属料理人がオープンした「いかりや」で買ってきたというステーキ中心に色々、ビール、ワイン、がぶ飲み。
12月20日(土)
青空書房の坂本さんから電話、転んで怪我、今日は休業という。「本の配達」に行く予定を1日ずらすことにする。
小牟田氏に電話。地下鉄で本町、小牟田氏の事務所へ。
22日の「歌之助を偲ぶ忘年パーティ」の打ち合わせと、本の在庫確認。
歌々志さんや米朝事務所にある分を含めても、年明けのサンケイ「米朝一門会」で完売になる可能性が出てきた。
22日の「歌之助を偲ぶ忘年パーティ」にはいちばん熱心な歌之助ファンが集まるわけで、ここで渡す分は確保してあるが、その前に、相当数が売れたわけで、少し迷うが、やっぱり増刷を決める。
印刷会社にも連絡。
市内ウロウロの後、梅田から歩いて帰宅途中、茶屋町アプローズ前をわが穴蔵の方向へ、赤い人力車が数台走っていく。
な、なんじゃ、これは。携帯電話のPRらしいが……。
夜、京都テレビで『北北西に進路を取れ』観る。案外つまらない。
ヒチコックはジョン・フォードほどは繰り返し見られないなあ。
12月21日(日)
定刻4時起床。
5時10分から『日本の話芸』再放送、本日は桂南光『花筏』である。限られた時間内なのにきちんと話を脱線させる(力士の酒の飲み方)あたりが見事である。
朝から年賀状の作成にかかる。
昼前、『歌コ本』を自転車で青空書房へ「配達」。
坂本さん、怪我で顔面縫ったらしい。生々しい顔つきで、店の前を通るオバチャンが「どないしてんな?」と声をかけていく。写真は遠慮。
午後、年賀状完成。
「歌コ本」の郵送分もあるので、自転車で中央郵便局へ。
ヨドバシ周辺、買い物と競馬でたいへんな人出である。
帰宅すると、ネットで注文していたCDが届いている。
ヴァーブ時代のバディ・デフランコ5枚と、山下洋輔トリオ「LIVE 1973」(P.S.C) 届く。
「LIVE 1973」は新宿フリージャズ大祭のライブ録音だが、ライナーによると、この時のマスターテープは廃棄処分されたのだという。こんなことやる会社は「文化犯罪者」ではないかい。
このCDの録音はカセットによるもの。音質は「インスピレーション&バワー」のには及ばないが、迫力は十分伝わってくる。
森山威男ディスコグラフィーに追加。
夜はデフランコ聴きながら紫蘇焼酎の湯割り。たまらんなあ。
12月22日(月)
久しぶりに地下鉄、朝のラッシュ時に乗る。ボンクラ・サラリーマンぎっしり。とはいえ、御堂筋線の梅田〜淀屋橋間、20年ほど前に感じたほどのぎゅう詰め状態ではないなあ。通勤人口、減っているのではないか?
小牟田氏の事務所でプリンターを借りて『桂歌之助』の訂正部分のプリント、ワープロ文書のコンバート時のミスと、スキャナーからの取り込みエラーで、誤字が結構多いのである。前者は改行マークの処理、後者は濁点と半濁点の認識ミス。ともに画面上の校正では見逃しやすいことを痛感する。
昼前に阪急石橋へ。
セイコープロセスに版下原稿とデザイン・データを届ける。
『桂歌之助』の増刷決定、正月休みが間に入るが、優先して進めてもらうことにする。
夕刻、販売用の本とチラシ、それにCD100枚を持って、北浜・アイルモレ・コタへ。
連休の谷間にあたる本日、『桂歌之助』刊行を記念して、三回忌でもあるので、「歌之助を偲ぶ忘年パーティ」の開催である。
川柳結社「どぜうの会」関係のスタッフと準備。「記念品」の封筒詰めとか写真の飾り付け。
18時過ぎからチラホラと参会者。……記念品に本1冊は付いているのだが、もう一冊という方が多く、販売用がたちまち不足することが判明、あわてて専属料理人に追加と振替用紙を届けるように連絡。ありがたいことである。
ということで、19時、開宴。
80人が限度と思われていた会場に90人以上……しかし、ピアノとかカウンターのないフロアで、幸い、心配していたような過密状態にはならなかった。
司会は米輔さん。
「開口一番」ということで、本日増刷が決定したことを報告、拍手が沸いた。
乾杯は松尾寺の横山住職にお願いした。三回忌なので「献杯」と発声された。立派な方である。
主な来場者は、米朝一門関係では、雀三郎さん、米二さん、雀松さんら。吉朝ニイさんもちらっと顔を出していたかな。閉会間際に小米朝さんも。
小佐田定雄、くまざわあかね、上田文世、かんべむさし……といったお馴染みも顔ぶれ。
田中靖治さんはじめ、守口時代からのファンであり友人である方々とは、なんとなく知っていたものの、初めて挨拶。こちらは大学教授とかエリート層が多くて驚く。(ぼくは歌さんの「暗い」といわれた70年代を知らないのだが、話を聞いくとなるほどと納得することが多い。歌やんは奥が深いのである)
川柳関係。SF関係も結構多い。林譲治さんや、天羽孔明さん、DSCを発行していた茜倶楽部の面々も遠方から来てくれた。あ、清水から村松さんも。
その他、太融寺やアイルで、ともかく20年以上聴いているという方が多いのである。
12月にしては暖かい。
中之島公園ではルミナリエ的な催しをやっている。ライトニングが貧弱だけどまあまあ。いい借景になった。
これが写真家・永野一晃氏のデジカメでは、こんな風に写る。見事なものである。
ちなみに、この日の「記念品」は、1988年テイジンホール「桂歌之助ひとり会」で口演された『古事記伝』の私家版CDである。
これをテープ起こししたのが桂歌々志さん。
本は国立国会図書館にも入ったので、古事記研究、最新の成果は、
稗田阿礼・伝→太安麻侶・編→桂歌之助・伝→桂歌々志・編
ということになる。
あと千年もすれば、古事記の作者は「ヒエダのカカシ」作ということになるだろう……といったのだが、あまり受けなかった。
(このCD、何がなんでも聴いてみたいという方は、まあ堀までメールしてください)
維久子さん挨拶、最後は歌々志くんが挨拶。「三代目歌之助を襲名しろ」という声が多かった。
最後に、深尾壽さんで「大阪締め」。ああ楽しかった。
専属料理人と中之島公園を歩き、西天満を通るついでに、ヤキトリ屋「てころ」弔問。先月、女将さんが急に亡くなったばかり。
あと、ハチに寄ると、夜10時というのに、なんとハチママがいた。
水割り一杯。専属料理人はコーヒー豆を貰って大喜びである。
ジャズ・クラをリクエストしたら「北村英治とウディ・ハーマンの2クラ」をかけてくれた。こんなのがあるのだなあ。音色の違いがはっきり出ていて、その組み合わせが実にいい。
歩いて帰宅、23時頃になる。
12月23日(火)
終日穴蔵……のつもりだが、本の配達で青空書房往復。
ありがたいことである。
夜、テレビで『突入せよ! あさま山荘事件』を見るが、佐々淳行のナルシズムの極地、あほらしくてあほらしくて。
サッサと死ね。
12月24日(水)
終日穴蔵……のつもりだが、本の配達で郵便局往復。
ありがたいことである。
少しは仕事もするのであった。
アメリカで狂牛病……安さが売り物のの焼き肉屋でアルバイトしているボンクラ息子その2、ヒマになるのかと思ったが、関係なく、忘年会とクリスマスで繁盛しているらしい。
専属料理人とデフランコを聴きながら鶏肉その他とワイン。
12月25日(木)
早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
タイムマシンの保有部品数のチェックを行う。世間では「棚卸」というらしい。
比較的暖かい日であるが、暖房なしの倉庫、しだいに体が冷えてきて、キンタマが波動関数の収縮を起こすのであった。
夕刻帰阪。
12月26日(金)
天気晴朗なれど風強し。
午後、自転車で本町まで。雑件色々のあと、小牟田氏の事務所に寄る。
先日の「歌之助忘年パーティ」の整理。
歌やんのパネル、本の販売用の看板に使ってもらうのがいいのではないかと、桂米朝事務所に連絡したら、正月のサンケイホールで使ってくれるという。
歌コ・パネルを持って、自転車で本町から西天満の米朝事務所まで運ぶ。……風が強くて、大川を渡るあたり、ちょっと怖い。これで事故にでも遭ったら「それ見たことか」といわれるに決まっているからなあ。
まあ無事に移送完了。
帰宅したら青空書房から留守電でまた本の追加要請。
ありがたいことである。
12月27日(土)
風雲急を告げ風強く時に霙降る。
終日穴蔵……のつもりが発送業務もあって、本日はコンビニで切手を買ってポスト往復。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
軽くビール飲みながら、今年最後の「ダミダこりゃ〜検討会」……なんのことやら。
20時過ぎ、専属料理人と歩いて梅田へ。
サントリー5、ニューオリンズ・ラスカルズの今年の聴き納めである。
2ステージ目から聴くが、ラスカルズ最終日とあって大盛況。最前列、1メートルほどの席、福田さんのトロンボーンの先端が鼻をかすめるくらいの場所で聴く。
これば大迫力……というか、まるで演奏者と同じステージにいるようで、細部までが聞き取れる。共演者の音はこんな風に聞こえるのかとびっくり。同時に、これに即応するアドリブ能力というのも凄いなと感嘆する。
隣りにラスカルズ応援団長ともいうべき住友さん、珍しいことなので最前列で記念撮影。
3ステージ目は空いてきたので中程のテーブルに移る。うわばみさん、藤本氏らお馴染みの顔ぶれ。ピンカラさんも来ていて、最後の数曲に参加。
リクエストで「テネシーワルツ」があって、これは胸が締めつけられるような。
今年最後の曲……何かリクエストしょうかなと思ったが、流れに任せることにする。
「アイスクリーム」とか「世界は日の出を待っている」が多いのだが、今年の最後はなんと「アラビアの酋長」であった!
わしゃリクエストするとすればこの曲であったのだ。まさに聴きたいと思っていた曲、今年最後のライブは最高の雰囲気で終わった。
12月28日(日)
昼前、青空書房の坂本さんから電話。京都の某本さんがスグキの漬物を届けてくれたから取りにおいでと電話。ありがたいことである。
同じく昼前、北陸に赴任している義弟から「池月」の大吟醸とにごり酒のセットが届く。歳暮に貰ったのを転送してくれたのである。ありがたいことである。持つべきものは下戸の身内。
これで正月の楽しみが決まってしまったようなものである。
自転車で中崎町へ。漬物受取り。
午後は本の発送2件。
専属料理人の年賀状作成の手伝い。パッチワークの写真の画像処理である。
12月29日(月)
世間の大半はすでに年末休暇入りした模様。
朝9時前に出かけて銀行関係を片づける。本日は銀行混み合い必至だからである。
午後、北村維久子さん来穴蔵。「歌コ本」10冊持ってきてもらう。正月のサンケイホール用、足りなくなった場合にわしが配達するためである。
14時過ぎに自転車で出かける。
銀行、どこともATMの前の列が路上まで続いている。りそなを除いては。
15時に大阪シナリオ学校の事務所へ。
エンターテインメント講座を担当している「講師」として、わしと芦辺拓さん、高井信さん。運営のシステムが変わりそうなので「運営委員会」の方々と話し合い。
打ち合わせも何もしてないが、3人、しゃべる内容、ほとんど同じ。強いていうなら、エンターテインメント小説に対する思い入れが、おれがSF専門なのに対して、芦辺さん、高井さんの方がややパースペクティブが広いってとこかな。ただ「経営」の問題になると、3人ともお手上げである。
約束あり、おれだけ午後5時半で中座。芦辺さんに全権委任のかたちにする。
南森町から中津まで自転車で疾走。
午後6時過ぎ、北野勇作さんとモリカワの夫妻が来穴蔵。11月以来、フランクフルト〜パリ、40日ほどウロウロしてきたと、例によって現地食材を土産に持ってきてくれる。こちらからは京の漬物など、物々交換会。あと、2時間ほど現地報告を含む意見交換会。
モリカワは400万画素のデジカメを所有、パリの写真など色々見せてもらう。あと、ヨドバシへ周辺機器を買いに行くらしい。北野ワールドも変わるか。
12月30日(火)
朝刊にレイモンド・コンデさんの訃報。87歳であったのか。90近いという印象であったが、わが母と同年かひとつ違いである。特集番組があるべきだよなあ。コンデさんのLPもCDも、わがコレクションにないのが寂しい。
タイムマシン関係の業務、本日で仕事納めである。
午前中で終えたあたりで、ボンクラ息子その1が東京から帰阪。
夜いっしょに一杯飲みたいところだが、たちまち遊びに出てしまう。
こちらも今年最後の忘年会があるのであった。
夕刻、池田の居酒屋へ。
「プロジェクトX」ではないが、「お互いに信頼する少数の精鋭」が語らってタイムマシンの開発を開始したのが1993年の年末である。この年末が「10周年」になる。
国際情勢がややこしいので派手なパーティはやらないが、某居酒屋でいちばんの「豪華メニュー」で記念宴会。カニとふぐのコース、ひれ酒がぶ飲み、雑炊までついてたらふく……ともかく総額「ひとり7千万円に近い」散財になった。ははは。
明日が早いので夜更かしはしないのであった。
12月31日(水)
ちゃんと朝4時に起きるのであった。
5時に朝刊を読むのであった。
6時に穴蔵を這い出るのであった。
専属料理人の作ったおせちセットを持って、播州龍野の実家へ向かうのであった。
冬の龍野は小雨そぼ降るのであった。
ま、コンデさんと同年の老母、ひとり正月には慣れているので、電気関係。暖房関係、防犯関係、野良猫関係(相変わらず野良がねだりに来ている)をチェックの後、昼過ぎに帰ることにする。
タイムマシン格納庫に寄り、タイムマシンに正月飾りの後、姫路へ。
駅地下の「御座候」でせいろソバ。
夕刻帰宅。
「歌コ本」の注文あり、夕刻、自転車で中央郵便局まで発送に行く。
北ヤードの広場の眺めがいい。
原っぱの彼方にスカイビル。
余計な「開発」などせず、このままにしておいてほしい景観である。
夜はカモ鍋でビール、赤ワイン、最後にソバを入れる。
ボンクラ息子その1は遊びに行ったまま、その2は友だちが遊びに来て部屋に閉じこもり、格闘技チャンネル・サーフィンらしい。
わしゃ国民的カラオケ番組に興味なく、ボブ・サップ〜曙戦が夜11時頃らしいので、穴蔵で本年度の諸々のデータベースの整理をしつつ、テレビ断続的に。
ははは……曙がガマ蛙みたいに倒れるのは面白いけど、ギャラのとれる演技じゃないぜ。
ガマ蛙というより「蛙茶番」か。
珍しく夜更かし。
0時に、穴蔵から自宅へ移動して、シャンパンを抜くことにするのであった。
こうして2003年は終わる……。
HomePage