HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』197

●野尻抱介『ふわふわの泉』(ファミ通文庫)

『楽園の泉』と並ぶハードSFの傑作

 off

 野尻抱介氏の最新長篇。
 一読、圧倒されてしまった。
 「ふわふわ」とは立方晶窒化炭素。女子高生が偶然この製法を発見してしまったことから始まる、一種の願望充足SF。あれよあれよという間に応用発明がエスカレートして、物語は宇宙空間まで拡大していく……。
 一見「フラバア」みたいだが、純然たる架空発明ではなく、ほんんど実現可能ギリギリに設定してあって、しかもそれからの展開にアイデアが極限まで考え抜かれている。
 タイトルのとおり、これはクラークの『楽園の泉』へのオマージュと解釈できる。ちがうのは、主人公が女子高生(から成人に至る)であり、技術的隘路が軽々とクリアされて、数年間で「夢」がかなってしまう展開であろう。これは発表媒体と想定している読者層にあわせた展開だからだろう。……が、若向けだからと設定が甘くなっているわけではない。むしろ、だからこそ考証面でまったく手を緩めない、このへんが野尻氏のダンディズムでもある。
 クラーク作品であれば、何度かの失敗と挫折があり、それをバネに巨大プロジェクトを推進していく。野尻作品ではこれが実に軽やかに進む。
 たとえば「スカイサイクル」は、ぼくも似たようなの(ヘリウム気球)をコラムで書いたことがある。しかし大阪市内では、風と「駐輪場」と電線で到底認可が下りないと、じつに悲観的な結論になった。これでは話が進まない。
 野尻作品では技術的隘路が軽々とクリアというのはこういうことである。
 だが、願望を充足させるための細部のツメは徹底している。たとえばサイロで溺れかけの場面で、使われなかったが下にはちゃんと防護ネットがあったとか。軌道エレベーターの替わりに一種の軌道リングが登場するが、この橋脚をレーザーで計測補正しているとか。このベルトの上に発着に伴って生じる「カタパルト地震」(! こんなのはふつう説明を入れて延々と書くものだけど…)とか。一ひねりしたアイデアが惜しげもなく注ぎ込んである。このへんもクラークの最良部分に通じるところがある。
 「楽園の泉」のスターグライダーに相当する「霧子」がとんでもない姿で現れるのもすごく面白い。
 「楽園の泉」のふわふわ版だが、クラークの気球好きは「メデューサとの出会い」などからわかる。なんとか英訳してクラークに届けられないものだろうか。

 ……あとがきに、協力者としてぼくの名があるが、ぼくに関していえば、電話で10分ほどしゃべった程度である。とても協力といえるレベルのことではありません。(逆に、拙作短篇『柔らかい闇』に関しては、野尻氏に大きく智恵を借りております。ここで改めてお礼申し上げます)
 


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