『マッドサイエンティストの手帳』794

●マッドサイエンティスト日記(2022年12月後半)


主な事件
 ・穴蔵の日々
 ・某院通院(21,22日)


12月16日(金) 穴蔵
 午前、近所の某院へ。
 とくに異常はないものの、ともかく禁欲的生活は守らねばならぬ。
 しかたあるまい。
 先日来、荷風のおっさんの老後をあれこれ再読している。
 つまり「荷風の老後」である。
 後期高齢者(75歳)になったのが1954年12月3日。菅野住まいであった。
 翌年当たりから浅草通いが増え始め、1957年3月27日(77)に八幡に引っ越してからは連日。浅草通いの便利だからここに家を建てたとしか思えない。このあたりの心境を詳しく知りたいのだが、やはり半藤一利氏が、著者の年齢からいってもいちばんか。
 ……などと考えていたところに、友人が「波」9月号を送ってくれた(山下洋輔氏のエッセイが載っているから)。
 書店で入手しにくくなって、しばらく読んでいなかったのだが、川本三郎「荷風の昭和」が連載されているのを知った。もう52回である。この号では「岡山での終戦」だから、八幡まではまだ数年かかりそうな。川本氏の年齢からいえば、「同年齢の荷風」を書いていけば、荷風の老後がいちばんリアルに描けるのではないか、などと愚考する。
 いや、余計なこといわず待ちますよ。完成すれば「荷風と東京」と並ぶ大著になるはず。

12月17日(土) 穴蔵
 未明曇天が朝に雨となり、終日降りつづく。
 肌寒い日である。
 本日のニュース。
 谷本盛雄が北新地のクリニックに放火して26人を殺害した事件から1年という。
 去年は宮本浩志(6月)や森本恭平(10月)、松尾留与(11月)と、身近に殺人者がやたら出現したが、年末の谷本盛雄がとどめであったなあ。
 現場となったビルの前に献花する人たちが映されるが、姫島の谷本盛雄の住居跡はどうなっているのか。気になるところだ。
 出歩くことなく、穴蔵にて禁欲的生活。
 昼は、専属料理人が、某方面から頂戴した「すぐき」の葉っぱを刻んで炒飯を作った。
  *
 これはいける。お楽しみはこれだけだ。

12月18日(日) 穴蔵
 晴れて空気冷たし。
 7時、ベランダは5℃、アメダスは3.6℃。
 14時、ベランダは6℃、アメダスは5.4℃。
 各地の吹雪が伝えられるが、大阪も寒いのである。
 終日穴蔵にて禁欲的生活。
 小型トラックが下の路地でゴソゴソやっていたが、昼過ぎに去り、静かになった。
 市営住宅の最後の1戸が7丁目の新築市営住宅に移り、こちらはついに無人となった。
  *
 年が変われば解体工事が始まるのだろうか。
 そうなると野々村竜太郎の生家も姿を消すことになる。
 できれば廃墟のままがいい。
 万博関連の工事を優先して、2025年まではこのまま残してほしいものである。

12月19日(月) 穴蔵
 早寝したら2時過ぎに目が覚める。「ラジオ深夜便」を聴こうとしたら、サッカーの実況中継をやっている。ラジオで聞いて面白いんだろうか。テレビのない時代にはナイター中継を聞いた記憶はあるが。
 そういえば……とベランダ側からタワマンを見ると、灯のついた部屋数はふだんと変わらない。
 これが12月2日早朝(確か日本がトーナメント戦に出た試合と思う)は異様に多かった。
  *  →  *
  12月2日午前4時   →   12月19日午前3時
 朝までうたた寝。
 晴。午前、近所の某院へ。こちらは定期健診。極めて正常であった。
 あとは穴蔵にて禁欲生活。ちなみに今回の禁欲とは、色と酒ばかりではなく、学習欲(活字、映像)や執筆欲(PC)も抑えねばならないのである。「聴く」のはいいのだが、ジャズは酒と切り離せないことを痛感した。残るは落語とラジオだけである。嗚呼。
 今季いちばんの冷え込みらしい。
 ベランダの気温は、6時3℃(アメダスは1.6℃)、12時8℃(507℃)、15時8℃(6℃)
 コタツでボケーーーーッとしているに限る。

12月20日(火) 穴蔵
 晴。昨日同様、寒いのであった。
 終日穴蔵。
 本日も禁欲的生活。
 明日からは少し変化が生じるであろう。

12月21日(水) 穴蔵/某院
 早寝したら午前2時に目覚める。5時間眠ったから十分か。
 「ラジオ深夜便」、本日はジャズ・トランペットの特集。マイルスの「ストックホルム」(ミュートなしの)からリー・モーガンまで、代表作から少し外した選曲がまあまあ。3時から歌謡曲になったので切る。なぜ明け方に歌謡曲になるのかねえ。まだトラックの運ちゃん向けの番組なのか。
 一連の(朝食など)朝の儀式のあと、出かける。
 天六の某院往復。昼前に帰館。あとは穴蔵でベッドに潜り込む。
 色々事情あり、運動読書テレビPC飲酒入浴など全部禁止。
 食べるのと聴くのはよろしい。
 2週間前にも似たようなことがあったような。
 午後、FMを聞いてたらジャズ番組でトニー・ウィリアムスの特集をやっていた。
 ごく普通の夕食。
 またすぐベッド。
 眠れん。CDで米朝18番「天狗裁き」「阿弥陀池」「算段の平兵衛」を聞く。
 あとはジャズ。USBに納めたMP3をランダムモードで流す。

12月22日(木) 穴蔵/某院
 明け方に2時間ほど眠れた。
 朝8時過ぎに出て、天六の某院へ。1時間ほどで退院。歩いて戻る。
 帰路、9時半頃に、空が急に晴れあがった。冬至の青空である。
 劇的に「世界観」が変わった。
 どう変わったか……は面倒なので後日に。
 本日も穴蔵にておとなしく過ごす。

12月23日(金) 穴蔵/某院
 寒い日であった。
 全国的に(日本海側から高知徳島まで)大雪のようだが、大阪は晴れている……と思ったら、朝に少し雪が舞ったらしい。
 午前、近所(公園のすぐ南側)の某院へ。2日間通院した某院ではなく「かかりつけ医」(主治医とも申せましょう)の方である。
 検査と生活上の注意事項を聞く。
 読書とパソコンはOKだが、わたくしの場合は普通よりも長時間集中するので大丈夫なのか確認する。
 目が疲れたと感じたら休む程度でいいらしい。
 このところ思わせぶりなことばかり書いてきたが、要するに白内障の手術を受けたのである。
 2週間ちょっと前に左眼、一昨日に右眼の手術。ともに人工水晶体に取り替えた。
 まず左の視界が劇的に鮮明になった。
 しかし、左右のバランスが極端に違うので、戸惑うことばかりである。
 2週間後に右眼の手術、一晩安静に過ごして眼帯をとったら、両眼の視力が揃って、驚くべき鮮明世界に転移していた。
 急に目を酷使していいのか心配だったが、読書とパソコンはOKである。
 これで「普通の日常」に戻れる。
 いや、うろうろ歩きがが復活すれば、新しいものも見えてくるかもしれない。
 しばらくは制約の多い「安静生活」だが、洗顔洗髪なんて半年ほどやらなくても平気だし、汗をかく運動などもともとやらない。禁酒も何度かやってきたが、そう苦痛ではない。
 読める書けることさえできれば、あとはどうでもいいのである。
 ということで、午後は穴蔵にこもり、充実した時間を過ごす。

12月24日(土) 穴蔵
 晴。昨日よりは暖。
 昼前にジュンクドーまで行くが、えげつない人出である。
 ヨドバシへサプライ品購入のために行こうと思っていたが、引き返す。
 午後は穴蔵。
 コタツで筒井康隆・蓮實重彦『笑犬楼vs.偽伯爵』(新潮社)を読む。
 たちまち夕刻。
 夜は食卓に鶏ももが出てきた。そうかイブであったのだ。イブで土曜なら、梅田がごった返すのも当然か。
  *
 しかしこのメニューは酷ではないか……と思ったら、「ノンアルコールのワイン」(ワインの休日)が出てきた。
 そんな飲料があるとは知らなかった。
 あと手作りのシュトーレンを一切れ。お、なかなかの出来栄え。
 一応クリスマスなのであった。

12月25日(日) 穴蔵
 晴、時に陰。外は寒そうな。
 朝「らくごのお時間」で笑福亭たまが「鰍沢」を演っている。珍しいが、上方に移す噺ではない気がする。
 終日穴蔵。
 午後、youtubeでシンギュラリティサロン、本年度のラスト。
 「2022年下半期 AIニュースベスト10」
 話題多くて頭の中で整理がつかない。
 1.巨大言語モデルの発展
 2.画像生成AI
 ともに関連して話題になった音声テキスト化ソフトやMidjourneyなどはまだ試していないので実感できず。
 だんだん取り残されていくような気がする。
 次回(3/12)は菊地誠教授登場、ニセ科学とAIがテーマらしい。これは楽しみな。
 ちょっと公園まで出る。寒い。
 トラが日向ぼっこしていた。
  *
 顔つきが凶悪になったなあ。眩しいだけか。ということは、わたくしも先月までこんな顔をしていたのか。
 この冬をどう乗り越えるのか……

12月26日(月) 穴蔵
 家事の分担が復活、午前4時にゴミ出しに出たら、エサ場で仔猫(だいぶ大きくなっている)が食事中であった。
 まだ生きていたのだ。
 晴時々曇。寒い日である。
 終日穴蔵。
 午後、専属料理人が(だいぶ迷っていたものの)5回目のワクチン接種に出かける。
 集団接種会場、空いていて、予約時間よりも早く、1時間ほどで帰ってきた。
 これで(毎回副反応がひどいものだから)食事は明日からしばらくは個人で……の予定とする。
 この正月は病院食程度のもので過ごす予定だから、副反応が新年までつづいても、わたくしはかまわないのである。
 さらに、本日「大阪モデル」に赤信号が点灯した。吉村は行動制限はしないというが、わたくしは外出自粛とする。
 ま、寝正月でいこう……ということである。
 夕刻、公園横のポストまで。
 お、無人になった市営住宅を囲うフェンスの設置工事がはじまった。
 市営住宅の西南角が公園と接していて、その前の路上がエサ場である。
 昼間は路上喫煙者がたむろし、深夜は野良猫戦線と化す。
  *
 フェンス設置で戦線はどう変わるか。
 フェンス内は立入禁止となる。野良はフェンスの隙間から出てくる。
 もし愛猫派がエサを隙間からフェンス内に置けばどうなる。
 野良は安全地帯で保護されることになるのか。
 年末から新年にかけての攻防、楽しみはつきない。
 自分の食事よりも、野良の食事の方が気になるのである。

12月27日(火) 穴蔵
 家事分担で午前3時にプラスチックゴミを出しに出る。
 と、エサ場から仔猫がフェンス内に去るところであった。
 猫のエサ2皿、ほぼ完食状態。深夜から3匹が交替で食べたのであろう。
 本日は専属料理人が副反応で寝ているので、わたくしも野良に倣って穴蔵にて独食である。
 朝は定番メニュー(野菜ジュース、トースト、ハムサラダ、ティ、果物)。
 午前、穴蔵にて雑事。
 昼はラーメンを作る。焼き豚・茹で卵・モヤシどっさり。
 午後、穴蔵にてうたた寝。
 夜は病院食みたいなメニューをと、作り置きの総菜(きんぴらとか筑前煮みたいなもの)を自宅へ取りに行ったら、珍しくボンクラ息子その2が調理中であった。
 予定変更してそちらをいただく。
  *
 厚揚げの野菜あんかけ、ブリ照り焼、なすピーマン豚煮でノンアル一杯、あと小ごはんと豚汁、すぐき。
 冷蔵庫にあった雑多な野菜7,8種類がバランスよく使ってあって、専属料理人より才能がありそうな気がする。
 野良よりは相当いい食事ではないか。
 早寝させていただく。

12月28日(水) 穴蔵/越境
 朝、近所の某院……などと伏せることもないか、公園南側の眼科へ行く。
 1週間ほど休みになるので、検査と目薬の補充である。目薬は左右別管理でそれぞれ2種類。抗菌剤と炎症防止。どれかが切れそうになったら来てくださいということで、次は2ヶ月ほど先となる。
 ほっ。
 いったん帰館、昼前に出て、今度は尼崎に向かう。大阪モデルは赤信号だが、兵庫県への越境を試みる。
 年末の処理事項があって、某信金(兵庫県にしかない)へ行く必要あり、近いのが阪神尼崎である。
 帰路、思い出して、姫島で途中下車する。
 大和田街道の淀川近くにある建物を見たくなったからである。
 あっ、この行動パターンは去年の12月29日と同じだ。
  *
 その建物は1年前とまったく変わっていなかった。手のつけようがないというか、手をつける人間がいないのだろう。
 ついでに大和田街道の突き当りから、堤防に出て、淀川を眺める。
 晴れて穏やかな日差し。このあたりは大阪万博にはまるで関係ない雰囲気だ。
  *
 対岸下流の高層ビルあたりで酉島伝法さんが原稿を書いてはるのが見える……ような気がした。
 姫島に来るのはこれで終わりにしよう。
 帰館、午後は穴蔵にこもる。
 専属料理人の副作用も治まり、普通の生活が戻ってきた。

12月29日(木) 穴蔵
 晴。風冷たいようである。
 出歩く気分にならず、終日穴蔵。
 各種の年度末決算(事業は終息しても組織だけ残っていたり)を片づける。
 ついでに確定申告の準備も。
 やはり少しは歩かねば……と夕刻散歩に出るが、寒くて、公園一回りで引き返す。
 と、エサ場の奥、市営住宅の駐輪場横で仔猫が水を飲んでいた。
 周辺にはプラ容器もちらかっている。
  *
 エサ場はこちらに変わったのか。
 エサさえ外からうまく入れてもらえば、立入禁止エリアだから、安全圏で食事はできるはずだが。
 深夜にならないとわからんな。

12月30日(金) 穴蔵
 またも生活が不規則になって来た。
 動かないことと、目薬を1日4回点眼しなければならことが原因であろう。
 昨夜も0時に点眼したら、あと寝つけなくなった。
 ラジオ深夜便と思ったが、つまらない。BSで「フランク・シナトラ 日本武道館公演」をやってたので見てしまう。
 4時頃に下男仕事(ビン缶ゴミ出し)して、ついでに猫のエサ場見物。いつもの場所に出してあった。
 そのまま起きていて、5時に朝食、6時に点眼。
 3時間ほど浅い睡眠。雑事少しばかり。
 12時に点眼してから昼食。
 午後はコタツで本を読んでいたら、つい居眠りしてしまう。
 18時に点眼。19時から病院食のような夕食。
 ちょっと雑事をしていたら、そろそろ就眠時刻。
 ベッドで本を読んでも、点滴時間(0時)が気になって眠れそうにない。
 目薬は規則正しく、睡眠は不規則、仕事は能率あがらず、というパターン。
 睡眠時間を0時〜6時にできればいいわけだが……ま、年内は今の調子でいくか。あと1日だ。

 今年もあとわずか。読んだ本のことを書いておこう。

『眉村卓の異世界物語』
 ちょっとわたくしも関与した『眉村卓の異世界通信』の姉妹篇。
 関西のプロやチャチャヤン、星群などの実力派が集まった眉村リビュート作品集。
  *
 トリビュートの解釈はさまざまで、同じテーマに自分の方法で挑んだ(岡本俊弥「時の養成所」、椎原悠介「ねらわれた学園や 後日談」、大熊宏俊「新・夢まかせ」など、石坪光司「幻影の手品師」もこれに近いかな)正統派から、珍しいエピソード(芦辺拓、藤野恵美)、パスティーシュの雰囲気(深田亨)、パロディ(高井信)、説明がなければわからなかったような影響作(菅浩江「夜陰譚」)などさまざま。
 面白いと思ったのが、まず雫石鉄也さんの「残り火は消えず」、非SFだが「原価SF」へのオマージュで、徹底した外注小説である。北野勇作さんの「奇妙な妻と娘の断片」……ほぼ100字SFから妻と娘が出てくる作品を抜き出したものだが、全体がなんとも不思議な別作品(「奇妙な妻」へのオマージュであり「妻に捧げた1778話」の雰囲気もある)になっている。竹本健治・河内実加のマンガ「SF作家パーティ殺人事件」には心底驚いた。
 特筆すべきは村上知子さんの「丸池の畔で」だろう。ケンジントンの広場で絵を売っている絵描きの青年の視点で、日本から旅行にきた親娘が描かれる短篇……この筆致が極めてSF的なのである。これは異星人の視点で地球人を描く作品にふさわしく、おそらく近い将来、SFも書かれるのではないか(SFを意識しなくてもSFになってしまうような)と期待してしまうのである。
 こちらで入手できます。

眉村卓『仕事ださい』(竹書房文庫)
 その眉村さんの初期作品集。同じ竹書房『静かな週末』につづく第2弾。
  *
 わたくしは『眉村卓の異世界通信』にインサイダーSFについて書いたのだが、こちらにはインサイダー文学論(66年11月)以前に書かれた作品が多く集められており、眉村さんの初心を知る上でも貴重だ。
 個人的にはその多くを発表時点で読んでいたが、改めて読み返して、やはり新鮮であった。わたくしより若い読者には(といえば大部分のSFファンということになるが)さらに驚きが大きいはずである。
 毎度のことながら、日下三蔵氏の書誌的な厳密さにはただ敬服である。初出、再録の経過から作者あとがきの微妙な違いまで網羅してある。インサイダーSF論以降の作品群についても、この調子の文章が読みたいと思う。というと「眉村卓全集」の解説ということになるが、全集は難しいとしても、日下さんの解説だけを先に読めないものか。

『この光が落ちないように』(東京創元社)
 第13回創元SF短編賞の受賞作、笹原千波「風になるにはまだ」を選評とともに掲載、合わせて同賞出身の新鋭らを中心とするオリジナル短編集。水見稜氏も。
  *
 山田正紀さんが選評で、全体に「アイデアによりかからない」しかしひと頃のニューウェーブでもポスト構造主義でもなく「きわめてナチュラルなSFの流れ」を感じる(けなしている訳ではない)と書かれているが、これはこの号全体にも(さらに他のアンソロジーについても)いえる傾向と思う。そしてどの作品も小説が見事にうまいのである。
 ここでは、極めて個人的な関心事を書かせていただく。
 八島游舷さんの「応信せよ尊勝寺」は前作「天駆せよ法勝寺」とともに、いずれは長篇を形成する予定の一編。物理学ならぬ「佛理学」をベースとする「驚異の仏教スペースオペラ」という(作者は「佛パンク」と称するらしい)。その「引用文献」から造語まで、物理に限らず民俗学や宗教との関連付けも徹底していている。デビュー作・星新一賞の「Final Anchorrs」で、0.5秒の出来事を延々と書き込んだ文章の粘着力に驚いたものだが、それが仏教に特化して長篇化されるというのだから驚く。わたくしはベイリーの「時間衝突」を思い出した。特異なワイドスクリーンバロックではないか。
 ここで40年ほど前のことを思い出した。
 松本富雄である(SFアドベンチャーに「君踊るとき」がある)。星群の中心ライターのひとり。80年代初めと思うが、星群に「無明宇宙」という短篇を書いた。これが日本初の仏教SFと思う。星群祭で合評会のような企画があり、わたくしはその着想を褒めたが、荒巻さんは「単に用語をそのへんの本から借りてきただけ」と評価しなかったのを覚えている。松本富雄はアイデアは多いが飽きっぽかったのかなあ。この時に八島さんほどの執着力があれば大化けしていたかもしれない。……当時の星群は、石坪光司や雫石鉄也、山本弘、菅浩江、岡本俊弥氏らが競っていた時代。そしてその多くは眉村トリビュート本でも書き続けている。松本さんがどうしているのか、ちょっと気になってここに書いた次第。

大森望篇『ベストSF20220』(竹書房文庫)
 竹書房文庫に移って継続している「ベストSF」の2022年版。
  *
 今年の特長は(他にも傑作アンソロジーが多かったこともあり)「新人率がぐんと高くなっている」。
 そして全体に前著で山田さんのいった傾向も見られるような気がする。
 酉島伝法「もふとん」、円城塔「墓の書」、伴名錬「百年文通」などのうまさはいうまでもないが、溝渕久美子「神の豚」が選ばれているのも、一昨年この作品を評価したものとしては嬉しい。
 全作品読んでいずれも感心したが、ここでは1篇にしぼって書かせていただきたい。
 十三不塔「絶笑世界」である。
 M-1グランプリ出場者の最下位クラスを思わせる、結成10年になる漫才コンビ。まったく受けない。もう解散と決意したところに、お笑いプロダクションから契約を持ちかけられる。海外の奇妙な集団が(AIを利用して?)開発したらしい「普遍的笑い」を発生させる装置が、ある条件下で「笑い死に」…見た者が死ぬまで笑い続ける…を誘発させるというのである。特効薬はない。唯一確認された方法がかれらの「全然受けない漫才」だったのである。
 この発想も面白いが、これを物語として展開させる腕が尋常ではない。これは「笑い病」テーマの疫病SFであると同時に、笑とは何かで悩む漫才小説(終演になって拍手が起きないのが最高の出来映え)でもある。この鬩ぎあいがどう決着するのか……
 文章は抜群にうまく、予想外のエピソードを挟み込む手腕も並ではない。経歴を見れば「本名で群像新人賞受賞」、十三不塔名でもハヤカワSFコンテスト優秀賞というから、もはや新人とはいえない経歴だ。
 いちばん感心するのは何気ないデティールのうまさである。個人的な思い入れもあるが、冒頭でお笑いプロの社屋が「古い紡績工場を改装した」もので「のこぎり屋根の外観を眺めるたびに首筋に刃を立てられる嫌な感触がある」……こんな描写が素晴らしいのである。
 作者は1977年、愛知県生まれ」という。80年代に「のこぎり屋根」が残っていたとすれば、一宮かあるいは知多半田あたりか。お目にかかれる機会があれば訊ねてみたいところだ……きわめて個人的な感想になって申し訳ない。

12月31日(土) 穴蔵/ウロウロ
 0時に目薬点眼、また眠れず、ベッドに潜り込んだままラジオ深夜便。
 おや秋元順子の曲が流れる。歌謡曲だが。秋元順子は2008年頃から急に歌謡曲で売れ出したが、2000年頃は「花屋のおばちゃん」で、浅草HUBで歌っているのを聴いている。むろんジャズだった。……歌謡曲歌手が売れなくなってジャズを歌うパターンはよくあるが、そんなさもしい真似をせず、ジャズに戻ってこないのもいい。
 2時からサイモンとガーファンクル。眠るにはいいはずが眠れず。3時からは歌謡曲……だが中山晋平特集で、これなら聴ける。証城寺の狸囃子のジーン・クルーパ版か「カム カム エヴリボディ」を期待したが、これはかからなかった。
 結局、朝になってしまった。
 また朝の点眼。朝食。
 今日は無理してでも起きていることにする。
 昼の点眼、昼食(鴨出汁蕎麦)の後、梅田へ。人出は少ない。
 ヨドバシでサプライ品購入、あと大阪駅の風の広場に上がってみる。
  *
 うめきた2期地区、北にタワマン、南にホテルが急速に伸びている。
 新駅の地下工事の様子はわからず。
 帰館。夕刻、久しぶりに入浴、洗顔、洗髪。
 6時、点眼、7時、軽い夕食。
 早寝させていただく。深夜(来年)に起きる(起こされる)予定なり。


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