『マッドサイエンティストの手帳』739

●マッドサイエンティスト日記(2020年10月前半)


The October Country
 ・10月1日〜16日の記録


 10月になったとたんに、とつぜん神隠しにあったようなものか。
 世間からは神隠しに見えたのではないか。
 とつぜん異世界に連れ去られたのだから。
 October the first is too late.
 ちょっと違うか。手遅れにはならず、何とかヨレヨレ状態で生還できたわけだし。

 ……などと書き出したが、思わせぶりはいかんな。
 本WEB、10月前半(1日から16日)にブランクが生じた。
 ブランクのままでもいいように思うが、日頃埒もないことを書き散らしていながら、都合の悪いことは伏せるのはいかん。むろんウソもいかん。
 さりとて詳述する内容でもなし。まあ、適当に事情を書いておくことに。

 10月1日
 穴蔵で転倒した。つまらん転倒である。パジャマに着替えようと、立ったままズボンを脱ごうとして、左脚が抜けきれず、よろけて転倒した。酔っぱらっていたわけではない。
 ズシーンと響いたので、痛みよりも、階下を気にしたほど。
 しばらくじっとしていた。打撲の痛みは消えたが、体を動かそうとすると左脚が痛くて動かせない。
 無理してベッドによじ登ってじっとしている。
 3時間経っても、じっとしている分にはいいが、動こうとすると痛み(激痛というほどではない)が走る。
 未明、スマホのメールで専属料理人を呼ぶ。
 タクシーで病院へとはいかないようである。1階まで降りられそうにない。
 #7119に相談したら(色々説明の後)このまま119におつなぎしましょうかという。
 準備があるのでと断り、専属料理人着替え、保険証など用意してから119。朝5時30分である。
 救急車は7分で来た。「座る担架」というのを知ったが、略。
 憧れの救急車の内部を初めて見学したが、視野が限られていて、略。
 救急隊員と病院のやりとりが面白いが、略。
 最終的にはこちらの判断(といっても選択肢はほとんどない)で某病院へ。5分で着く。
 「荷物」は病院側に移される。隊長殿に敬礼……はできず。感謝。
 直ちに病院着に着替えさせられレントゲン撮影。
 8時に医師の診断。腰部左側骨折である。治療法3案を聞くがこれも選択の余地はなさそう。手術するしかない。
 リハビリを含めて、ひと月は覚悟しておいた方がいい……嗚呼。
 病室に移され、あとはエコーとCTスキャン。
 新コロナ対策で、専属料理人の立ち会いは、手術説明と手術前後だけである。
 点滴が始まり、下半身には(局所麻酔なしで)尿管が射し込まれる。ギャーーーーッ。
 長い手術前夜が始まる。

 10月2日
 手術前に、スマホで今月約束のあった数カ所・数氏にメールで休講・欠席・中止のメールを送る。
 10時、搬送ベッドで手術室へ運ばれ、手術台に移され、点滴に麻酔?
 ……
 わかる?と専属料人の声。モノクロ画像が浮かぶ。病室へ戻る移動ベッドらしい。思考力なし。
 「全身麻酔」で眠っている(仮死?)うちに手術は終わっていた。
 また眠る。目覚めたら病室。専属料理人は帰っていた。
 覚醒してくると、だんだん状況がわかってくる。
 酸素マスクをしていることに気づく。
 両足に巻き付けられたチューブに1分ごとに5秒間ほどエアで圧力がかかる(後で知ったが、これは「エアポンプ」といい、脚を揉みほぐして血栓を防止する装置である)、しかも両足で、でかい「枕」を挟んでいるらしい。
 これでは眠れない。拷問である。
 上半身はベッドを起こせるが、両手を伸ばせる範囲に何もなし。夕食が出てくるがほとんど食べられない。
 テレビ少し。トランプが新コロナに感染のニュース。これだけは面白い。
 21時消灯。ひとりにされる。しかし、ともかく眠れない。
 理由は――
 ・膀胱が張ったような感じで、尿意が絶えないというか。看護師に聞くと「落差で落としている」というが。
 ・股間の「枕」と、フットポンプの音と周期的圧迫感。これが最悪。
 ・鼻に酸素マスク。
 ・点滴。
 ・何よりもベッドから動けないのがつらい。
 ちなみに、後で見た股間の「枕」とはこんなものである。両脚の間に入れ、ガニ股状で寝る。
  *
 左右に両脚を縛るヒモまである(縛られなかったけど)。
 さらに両脚には、でかい長靴みたいなフットポンプの加圧部。
 朝まで……これで3晩、ほとんど眠っていない。

 10月3日
 10時頃に手術着をパンツ、下着、パジャマに着替える。点滴終わり、尿管の引き抜き。ギャーーーーッ。
 溲瓶を持ってこられたが、これは花活けにでもしてくれと断った。車椅子に移って押してもらえばトイレには行けるからである。
 リハビリ開始。同じフロアにリハビリ室があり、車椅子で行き、マッサージ。
 この間はフットポンプは外せる。足首を動かせば同様の効果はあるというので、そちらの時間を増やす。
 困ったのがパソコン関係である。
 救急搬送だからスマホを持ってきただけ。
 調べてみると、スマホにテザリング機能を追加してWindows10のノートをつなげばネット接続は可能らしい。
 ただ、わが工人舎のノートはXP機で、もう使えない。機種を決めて専属料理人に買ってこさせるのも迷う。PCは自分の目で選ばねば。それにスマホの設定変更もマニュアルなしでやれるか不安である。
 少し悩んだが、これからひと月ほどネットから離れることにする(スマホで読めるから、厳密に隔離ではないが、twitterもfacebookもやってない)。
 しばらくアナログ生活を決意する。
 専属料理人に穴蔵からB6版のメモ用紙100枚を持ってこさせて、血圧や食事のメニューからアイデアともいえぬ思いつきまで、何でもすべてボールペンで記録しておくことにした。

 10月4日〜10日
 リハビリ生活に入った。
 生活のパターンは固定してしまった。
 7時からおしぼり配布(これは動けぬ患者用、洗面できるようになると廃止)、クスリの配布、部屋の床掃除があり、8時前に朝食(食パン、ジャム、牛乳、果物少量)。午前中に検診(体温、血圧、酸素量)あり。お茶の配布。正午に昼食。午後にリハビリ約1時間(この内容が少しずつ変わる)。主治医が時々部屋を覗く。17時過ぎにまたクスリの配布あり、18時前に夕食。18:30頃に片づけられると、あとはただ長い夜である。ボタンを推してナースステーションを呼び出さない限り、翌朝まで13時間、何もない。21時一応消灯。ベッドで本は読める。
 要するにリハビリ1時間のために23時間を病室で過ごす生活である。
 昼食・夕食はほぼ同じで、こんなもの。
  *
 ごはん、魚か豚肉の煮たの、野菜・豆腐・ポテト等の煮た小鉢2つ。減塩というか調味料なしというか。
 慣れればそれなりに結構なもの。3日目くらいからはほぼ完食となった。
 リハビリの内容が少しずつ変わっていく。その結果認定により、5日には「ひとりで車椅子」OKとなる。トイレにも1階の売店にも自由に行けるようになった。
 6日には、昼間はフットポンプが外される。
 ノーベル物理学賞、3人のひとりにペンローズ博士。なによりだが、ホーキングは惜しかったなあ。理論物理は立証が遅れるからつらいところだ。
 8日、暴走老人・飯塚幸三の初公判。「車に異常があった」だと。「おれの役職ならメーカーが飛んできて故障の原因を作ってくれるはず」と信じているのかねえ。
 9日には車椅子から歩行器となった。リハビリ担当のA青年「回復の早いことでは、私が担当してきた中でもベスト3に入ります」という。夜間のフットポンプもなくなった。
 10日、やっとシャワーを浴びる。風呂は好きではないが、さすがに全身が気持ち悪かった。さっぱり。

 10月11日〜15日
 1時間のリハビリのために独房に閉じこめられている生活になった。
 新コロナ対策で家族との面会は禁止。洗濯物その他は看護士を介して窓口で受け渡すだけ。
 本は何度か入れ替えたが、病室の照明は読書用にできておらず、ひどく目が疲れる。
 廊下の窓から都島通を眺めるのだけが唯一の愉しみとなった。
  *
 秋晴れがつづく。左手に滅亡寸前のレオパレスのビル、正面は北天満小学校の廃墟である。前は時々通るが、校庭を見たことはなかった。春は桜がきれいだそうな。
 12日、主治医が(リハビリの報告もあったのだろう)回復は非常に順調で、これなら今週末の退院も目指せるといつてくれる
 13日には、歩行器なし、院内を普通に歩いていいことになった。
 心はもはや退院である。トランプの方が先に(陰性確認はまだらしいのに)退院してしまったが。
 15日、主治医から「週末退院」の許可が出た。
 リハビリのA青年も、16日の最後のリハビリ時間を午後から朝9時に変更してくれた。これなら午後に退院できるはずという。

 10月16日
 ……どうも話がややこしくなった。
 リハビリのA青年は9時から「起居の注意、座敷での立ち方、あぐらのかき方、入浴の注意」など教えてくれ、10時前に終了となった。
 薬局から預けていたクスリも返却された。
 が、ナーステは明朝(17日)の退院で進んでいるという。
 主治医は本日不在である。
 どこに連絡の不備があったのか、とがめ立てするのはやめておこう。
 診療科・薬局・リハビリ・病棟がからんで、各位誠実に業務に当たってくれたのである。
 今から各部署に回った連絡の変更は大迷惑であろう。
 病室での滞在を24時間延期する。
 荷物の多くはすでに持ち帰らせている。
 売店で文藝春秋11月号を買ってきてベッドで読む。文藝春秋を読むのは2018年4月号(眉村さんの手記が載った号)以来と思う。
 呆れたなあ。面白い記事が皆無。これといった特集記事かひとつもない。ほとんどが30枚くらいの記事で、ともかく浅い。
 10年ほど前から、こんな傾向が続いている気がする。
 ひと頃の目玉特集(田中金脈追及などね)は、今では最初から新書で出る。残るは軽くて浅いワイド特集ばかり。これでは週刊誌と変わらん気がするが、週刊誌も不倫ネタや老人ネタばかりで、さらに低レベル化。読まなくなったなあ。
 と、つまらん一夜を過ごしたのだが……
 (翌日になって判明したことだが)この夜、ハチママが同じ病院内で息を引き取ったのである。
 今となっては、ハチママがもう一晩おってえなと、引き留めていたような気がしてならない。
 さらにいえば、2週間で退院という「奇跡的な回復」も、ハチママが最後に残っていた元気を全部こちらにくれて去っていった結果のように思えるのである。
 翌朝9時30分に計算書が届く。
  *
 さらば、不思議な思い出の病室。
 (→10月17日の記述につづく)


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