HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』92

●マッドサイエンティスト日記(1999年1月前半)

主な事件
 ・「お屠蘇」と「雑煮」はもう一生食べない
 ・新春吉例・桂米朝独演会
 ・フレッシュマン諸君
 ・技師と技監にライブハウスで会う
 ・雪の木曽路……

1999年

1月1日(金)
 いつもどおり午前4時に目が覚める。朝刊の到着は少し遅く午前5時。精読。午前7時、一応「初日の出」を窓からデジカメに収める。
 家族起床の気配なく、空腹である。いつもだと自分で朝食の用意をするのであるが、新年ともなるとそうもいくまい。
 午前9時、年賀状が届く。
 ボンクラ息子は惰眠をむさぼっており、その母親だけが起床、形式的に祝い。
 年賀状を見ながら、「お屠蘇」といっても実質的には「熱燗の朝酒」である。おせちを肴に3合ばかり。空腹に熱燗は回るなあ。そのまま昼過ぎまで「朝寝」。餅ひとつがもたれる。夕方まで読書。……これじゃ体にいいわけがない。「餅は年ひとつ」と決めていたが、来年からはやめよう。ということは、本日の餅がわが人生における食べ納めであったわけだ。朝酒もやめることにする。来年からはビールとワインにしよう。
 夜は湯豆腐でビール、深夜まで読書。「月面」を舞台にした作品の構想が頭から離れない。

1月2日(土)
 生活を正常に戻すことにして、午前6時、ひとり物音を立てずに朝食。
 ボンクラ息子がテレビをつけっ放しでリビングで寝ているのが情けない。
 年賀状と普通の郵便物を投函。ホームページの更新。これでなんとなく夕方になってしまった。夕刻、比較的普通の夕食。おせちは残り、処分となりそうである。来年からは「おせちは一食分」とするよう進言する。

1月3日(日)
 生活は正常に戻り、休日パターンで、早朝ひとり物音を立てずに朝食。
 書斎に籠もるが原稿は書けない。漫然と読書。あわせて「表計算ソフト」を使う年初行事(さすがに会社の仕事にはあらず)
 午後、自転車でサンケイホールへ。  新春吉例・第55回桂米朝独演会
 しまつの極意 宗助
 重箱丁稚   米朝
 手水廻し   雀々
 親子茶屋   米朝
 (中入)
 ぬけ雀    米朝
 年末に風邪とかで、米朝師匠、体調が悪そう。C4席で、前から3列目の左端近い席。こんな近くで聴くのは初めてである。斜め下から見上げる感じで、師匠の首筋など「老い」が目立つのが辛い。重箱丁稚は「丁稚」小話のアンソロジーだが、冒頭の「通い丁稚」のサゲは明らかに間違い。辛いなあ。いちぱん面白い話なのだが。

 米朝師匠に3席は負担が大きすぎるのではなかろうか。
 一門会で、一席でもいいから、永く聴きたいのである。新年から「心配」しながら聴くよりは、安心して永く聴きたい。国宝なのだからなあ。
 ロビーで石毛直道先生、小松左京夫人などに挨拶。
 サンケイホールから自転車で中央郵便局、JR大阪駅の西ガード下を抜け、人気のない場外馬券場の横を通って帰宅。明日から仕事と思うと気が重い。

1月4日(月)
 ボンクラサラリーマンに戻って出社。
 土日をはさんで初出が6日、5日という年が続き、この間に新年から職場で「冷酒」を飲むという悪しき習慣が消滅して、今年は祝賀式のあと通常勤務ということになった。これが正常なのである。

1月5日(火)
 ボンクラサラリーマン生活。

1月6日(水)
 北摂の事業所へ。こちらは今日から操業開始。さすがに寒い。

1月7日(木)
 市内、近郊の挨拶回り。
 生活が正常に戻ったのはいいが、21時頃には眠くなるから不思議である。ちょっと時間帯が進みすぎたか。NHKで21:30から2000年問題の番組があり、見るつもりでいたがとても起きていられない。

1月8日(金)
 早朝から寒波襲来のなかボンクラサラリーマン生活。

1月9日(土)
 世間休業なれど長野の工場操業中につき出社、大阪スタッフが会議のために新年早々厳寒の長野に出張のため、留守番役である。が、いつもなら暖房なしでも前日までの余熱でさほど寒くないビル内、おそろしく寒い。「パッチ」なしではじっとしておられない寒さ。キンタマが縮んでしまうことなり。午前中で退散。
 帰りに宮崎学「突破者それから」を買って、午後書斎。「突破者」はバブル時代、地上げに関与していて、有名な悪徳弁護士とも関係があった。ヤクザとのつながりもはっきり書いてあるのだが、この人、キツメ目男でなかったのは確かなようだが、グリコ森永事件にまったく無関係だったのだろうか。「黒幕」であったとして不思議ではない。やっぱり黒幕なのではないか? 時効が成立したところではっきりさせてほしいものである。と、これは本物の「黒幕」へのお願いである。

1月10日(日)
 自転車で北区図書館へ。小説でもなく資料でもない本を4冊借りてくる。
 以前だと書店で、入門書からやや専門的なところまで4、5冊買ってくるところだが、永続的なテーマになるかどうか不確かなジャンルは図書館利用にかわってきた。
 決して「始末」しているわけではない。置く場所がなく、結局は捨てることになる可能性が高いので、買うのが精神的に辛いのである。
 本が売れないはずだ。

1月11日(月)
 ボンクラサラリーマン、訳あって銀行、税務署、社会保険事務所、労働基準監督署などを回る。鬱陶しいことである。
 夕方、ハチ。お初天神から東への道が堀川戎への参道になっているので、毎年1月9、10、11日は人出が多い。ぼくは「神頼み」はしないので、いつも途中の「ハチ」でビールを飲んで引き返すパターン。人出は……閑散としているなあ。
 off
 本日、ハチは超満員。某タクマのW村専務、秘書のI本嬢の顔も。入社2年目フレッシュメン20数人の研修のウチアゲ。ビールを飲んでから、堀川戎で商売繁盛祈願して解散というプログラムらしい。なかなかの趣向である。イキのよさそうな若者が揃っている感じ……紅一点の新人も紹介していただく。ぼくの入社2年目といえば高知の工場で毎晩飲んだくれていたなあ。28年前からスーダラであったわけだ。えらい違いである。新人諸君、ぼくのようにはならないように。専務とか、この後に出てくる「技監」をお手本にするように。
 午後8時、サントリー5へ。大阪出張の兄と合流。
 小川理子さんのピアノソロのはずが、ニューオリンズ・ラスカルズのドラマー・木村陽一さんも来ていて、結局最終ステージまで。
 off off off
 写真は、元技師、技師、技監たちである。
 木村さんは現在FM−CO−CO−LOの顧問で、毎週日曜23時からのジャズ番組を作っているが、昨年まで、某大手M電気の音響研でこの人ありと知られたエンジニアである。小川さんはその「弟子」で、やはり現役の「技師」である。わが兄はその関連会社の「技監」という役職にある。
 技師がジャズで活躍していて、最近話題のファンタジーノベル大賞受賞作「オルガニスト」の作者も、やはり同じ企業のエンジニアであるという。
 時代は変わりつつあるなあ。M電気が変わりつつあるのか。唐津一氏の文筆活動が過ぎて「始末書」をとられたとかいうのはすっかり昔話である。

1月12日(火)
 楽しい日の翌日は血圧が上昇する。
 このパターン、すっかり定着してしまった。

1月13日(水)
 北摂の事業所で古い書類の整理。
 最近は焼却炉の使用が制限されていて、市の焼却炉へ持ち込む場合はホチキスの針まで外しておかねばならない。古い「重要書類」を整理してダンボール2箱に詰める。
 北摂山系の麓にある工場が、水車を動力にして操業していた時代からの経過がわかる。近代産業史の一面に触れる思いである。
 血圧変わらず。

1月14日(木)
 ボンクラサラリーマンを一日務めて、かんべむさし氏の事務所。雑談1時間。不景気な話ばかり。これはいかんのではないか。よけい落ち込む。「女性しか弟子にしない某落語作家」の悪口とか、もっとアホらしい話がしたいのであるが……。
 その点、やっぱりパソコン通信の方が面白い。

1月15日(金)
 朝刊で宮部みゆきさんの直木賞受賞を知る。おめでとうございます。
 世間は成人の日で休日なれど、急な用事が生じて長野へ出張となる。
 試作機の実験を来週いっぱい詰めてやるという。が、来週はヤヤコシイ予定がびしっとあるので時間がとれない。と「土日もやりますよ」……それならつき合う他ないではないか。

 木曽路は雪である。なーんちゃって。
 休日ダイヤで、3連休初日とあって、6時代のひかり、8時の中央線「しなの」ともにスキー客、結構多い。騒がしいオバハンやゲーム機音発生させるガキもいっぱい。情緒のない雪景色である。塩尻、辰野を経由して飯田線「伊那松島」に11時前着。雪が降っている。傘なし。血圧の降圧剤を飲もうとしたら、水道が凍てついていて水は出ない。情けないことである。
 off
 防寒コートのフードをかぶっての行軍。パッチ(さすがにラクダのではないが)を含む重装備できたのは正解であった。
 夕方までゴチャゴチャ。泊まりを覚悟していたが、あとは大阪での仕事となる。
 中央線で新宿に出ればDUGで森山威男さんのライブの日。午後8時半頃に着けそうでちょっと迷う。アサヒネット「221倶楽部」は札幌で筒井康隆氏を囲んで炭火焼きの時間でもある。こちらもちょっと贅沢してもいいかという気にもなるが……結局は朝のコースを戻る。車中で聴くジョシュア・レッドマンのMDが唯一の癒しである。


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