『マッドサイエンティストの手帳』128
● 橋元淳一郎『人類の長い午後』(現代書林)
ミレニアム・クロニクル 未来史の冒険 「西暦3000年の世界」 …… ノンフィクション形式のSF!
タイトルはむろんオールディスへのオマージュ。ただし類似はタイトルだけ。
なんとこれからの1000年の未来史なのである。
2001年から3000年まで、橋元淳一郎氏が作った未来史。……これは「神の目」で描かれた未来史なのだが、作者のいう通り「ノンフィクション形式のSF」としても読める……というよりも、それがいちばん正しい読み方で、言い換えれば、極めて独創的な形式のSFなのである。
プロローグに見事な要約がある(これだけでもSFとしては異色だ)。そして、それは100年刻みでじつにスッキリと(というのはおかしいが)未来を透視している。
「セックス革命」「ペット恐竜」……「青紫色の結晶生命」「超知性原理」……「ゲームの天才」……と、その世紀を代表するキーワードの付け方も見事なもの。一世紀一話の連作長編の趣向でもある。
で、その通りに未来が進行するのかというと、まあ、そりゃないでしょう。ありそうだと思わせる筆力が凄いし、ありそうな「可能性」を1000年間に並べて見せて、順序は多少入れかわるかもしれないというところ。1000年でなく、案外500年か300年くらいで実現してしまうかもしれない。ここにはSFのネタがすべて網羅されているといっていい。
一貫しているのは、橋元氏の「知性」への信頼だろうか。
知の進化ある限り、肉体なんぞどう変わってもかまへんがなという理想主義が、カタストロフィがあろうと戦争があろうと……3000年に、何通りかの「進化の果て」の姿が提示されるが、どれを選んでも悔いがないという気持ち、すがすがしい気分にさせてくれる。これはいい小説を読んだあとのカタルシスと同質なのである。
「ノンフィクション形式のSF」の傑作という所以である。
「無精猫原理」というグータラ思想信奉者のぼくとしては、ちょっとは物事を考えなきゃいかんなあという気分にさせられた。
SFネタ本としても有効で、なんというか、何通りにも楽しめ役に立つ貴重なSFである。
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