『マッドサイエンティストの手帳』 1
マッド・サイエンティストの変貌
SFマガジンに「マッド・サイエンス入門」というコラムを連載したことがあ り、この時の語り手として想定したのは中洲産業大学のタモリ教授でした。
その後、ドラゴンマガジンに「マッドサイエンス研究室」を連載、ここで想定 したキャラクターは傍若無人の常滑川教授(大竹まこと)です。
そして昨年末、新戸雅章さんの「ニコラ・テスラ未来伝説」におけるマッド・ サイエンティスト論考に接して大きな刺激を受けました。久々に新鮮なマッド・ サイエンティスト像に出会った興奮です。理系出身の人間なら誰でも感じる「ほ ほえみの殺人者」村井秀夫の謎に対してきわめてエレガントな解答を導いている と読めるのです。(この本は、オウム事件を離れても評価されるべき著作でしょ う。)
つぎの時代のマッド・サイエンティスト像はどう変わるのか……。
前期のコラムはSFと科学トピックスの接点をとりあげたものですが、この不 定期連載では、もっと広く、身辺雑記、書評なども含めます。
マッド・サイエンティストがテーマの中心ではありません。
語り手は、ほとんど素顔の「ぼく」であり、ぼくは決してマッド・サイエンテ ィストではなく、むしろ憧れてなれなかったクチですが、タイトルにこの言葉を 使用したい誘惑には抗しきれませんでした。
禁断の扉はどこにある
やっぱりインターネツトのことから始めるべきだろうな。
1996年4月19日(金)夕方、大阪・日本橋でパソコンを買ってタクシー で持ち帰り、翌朝インターネットに接続した。(ちなみに機種はDESKPOWE R SE5(120M)。その後の安売り路線変更の動きを見ると、たぶん底値 での購入であろう。)
ぼくのパソコン通信歴は1988年の暮れからだから、まあ古いほうかもしれ ない。クロード・チアリ氏の自宅最上階の「秘密通信基地」としかいえないよう な部屋を見せてもらったのがきっかけである。……SFが目的で訪問したのでは ないのだが、チアリ氏はかなりのSFファンで、ジョルジュ・ランジュランとか ルネ・バルジャベルが話題になり、そのうち「ニューロマンサー」のペーパーバ ックを取り出し、なかなか的確な批評を加えられた。それまで、ぼくはチアリさ んがパソコン通信の世界でも活躍している人とは知らなかったのである。仕事の 礼状はメールで送るべきと考えたのがパソコン通信開始の動機だった。
以下、8年間の経過は省略。
MS−DOSからWindows95へ。
ついにインターネットの扉を開いた……この感激のないことといったら!
ホームページ開設第1回書き込みにふさわしからぬ感想になってしまうが、何 の興奮もともなわない、むしろ煩わしさが先に立つのである。
SFファンは新しいものが好きであり、とうぜんすでに多くのSF関係ホーム ページが開設されている。SF大会会場に到着したときの、おなじみの光景がイ ンターネット上にすでに広がっている。この雰囲気はもう十分に見慣れたものだ。 お仲間もずいぶんいるし、わかる人にはわかるだろうが何とも嫌ゃーーーーなの が約一名テントを張っている。
このあっけなさは何であろうか。
すでにEメールを利用したり、ある程度踏み込んでいたこともある。
初めて関数電卓を買った時、あるいはベーシックの初歩の時代、マニュアル首 っ引きで気がつけば徹夜していた、あの興奮がまるでない。
Winsowsが、文章中心にMS−DOSを使ってきた人間には使いにくく、 新環境に慣れないせいもあるのだろう。
何よりも、禁断の扉を開いたという興奮、センス・オブ・ワンダーがないので ある。世界中どこにでもつながる扉を開いてみれば、そこは見慣れた日常世界。 ……エロ・ホームページに興奮する歳でもなし。どこに秘境がるのやら。
思い出したのはアポロの月着陸場面だった。
アポロ11号はあっけなく月面に降り、偉大なる第一歩は、本人よりも先に月 面におかれたカメラでテレビ中継された。
子供の頃から、今世紀中に(もう少し具体的には、自分の生きているうちに… …今世紀中生きているとは考えていなかったから)人間が月に到達することはあ るのだろうかと夢想していたぼくには、この月面着陸ぶりはとんでもない拍子抜 けでありました。
インターネットの逆衝撃については、また落ちついた頃……じゃなかった…… 落ち着きが失われる状況に至った時に書くとして、マッドサイエンティスト挫折 人間としては、この拍子抜け感覚を第一歩としてスタートしたいと思う。
ぼくが自信をもって宇宙SFに取り組めたのはアポロの月着陸以後なのである。
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