HORI AKIRA JALINET

【森山研】は全部聴く

 「hush-a-bye」


=== <783> jazz/salon, XL4O-ENDU(遠藤 治), 98/ 8/27 03:02, 32行, 3(23)関連
標題: 【森山研】『ハッシャバイ』
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 次のアルバムは 1978年録音の名作『ハッシャバイ』。サックス奏者が高橋知己さん(資料室#72は高橋和己となっていて誤字でした。すみません)から小田切一巳さんに替わり、さらにゲストでトロンボーンの向井滋春さんを迎えた5人編成で、スタジオ録 音されています。ストイックな曲目だった前作『フラッシュ・アップ』に比べると、本アルバムはバラエティに富んでいて、それ以降の森山さんの視野を決定づけています。
 1曲目は板橋文夫作曲のアップ・テンポなモード・ナンバーで「サンライズ」。3+3+3+3+2+2というシンコペーションのイントロの後に2管で入るテーマは実に爽快で、以後20年間「森山クラシックス」の1曲として演奏され続けることになります。
 2曲目は小田切さんをフィーチャーしてスタンダード・ナンバーの「ハッシャバイ」。この曲も「森山クラシックス」の1曲として、ライヴのクロージングに今でも必ず演奏されます。森山威男といえば「ハッシャバイ」であり、「ハッシャバイ」といえば森山威男であります。このアルバムでは、若くして世を去った小田切さんのみずみずしくも哀切なテナーが胸を打ちます。
 3曲目は板橋文夫作曲のスローな三拍子のモード・ナンバーで「ノース・ウインド」。この曲では小田切さんと向井さんは郷愁をそそるテーマをユニゾンで奏するだけで、全面的に板橋さんのピアノがフィーチャーされています。この曲は現在は演奏されませんが、1枚後のアルバム『スマイル』に収録される名曲「渡良瀬」の萌芽を感じさせます。
 4曲目は向井さんをフィーチャーしてスタンダード・ナンバーのバラード「ラヴァー・マン」。前作『フラッシュ・アップ』では森山さんのブラシ技が聴けなかっただけに、貴重です。
 5曲目は森山威男作曲のアップ・テンポなブルースで「スノー・タイガー」。それぞれに間を生かしたパーカッシヴな動機を繰り出す小田切さん、向井さん、板橋さんのソロと、それを受ける森山さんの応酬が圧巻です。
 全体を通じていえることですが、森山さんのドラミングは、エルヴィン・ライクな「んととん」「んとんととん」と布団を叩くような音で裏から裏から入るバスドラを中心にして、定速ビートの小節の縦棒を自由自在に超えてダイナミックな起伏を生み出し ています。そしてそれが、フロントのソロとの会話として変幻自在に繰り出されること、そのスピード、スリル、パワー、要するにスウィングに、私は全身全霊を奪われてしまうのです。
 そして、もうひとつ「泣き落とし」的な選曲の魅力というのがあります。

by ヨNDO


=== <787> jazz/salon, IU8N-TKMT(高松 紀子), 98/ 8/28 23:24, 26行, 1(3)関連

標題: ちょいと【森山研】
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エー諸君。まず、世紀の大発見について申し上げる。

【森山研】では氏の仕事の魅力について、正確な資料を能う限り収集しそれに基づいて各各の感性を通して研究しその成果を述べ合う、という形で活動をすすめつつある。

さて。では何故我我はかように夢中になって氏の魅力について語るのか。

無論、氏の音を広く知らしめたい、もしくは少なくとも自分たちと近い感受性を持つ人が、氏の音を知らずにいることに耐えられない、是非教えたい教えたいと半ば強迫観念に駆られていることもある。

しかし唯それだけではないことをわたくしは発見した。それは。

氏のドラムの一番低い音の奴、あれは胎内音を発しているのである。
母胎内で昔聴いていた、あの懐かしい音だったのである。ゆえに我我はあの音を聴き切ない思いに駆られ、または安心し、もしくは心乱れ、聞き終わってもまたすぐ聴きたい、と思うのである。

嘘だと思ったら戻って聴いてみるがいい。

という論文を発表した夢を観ました。聴きながら眠ると観れるよ。
「ハッシャ・バイ」については、以上をもってこれに代えることとする。
だって、聴いても聴いても森山さんの心臓の鼓動しか、私には聞こえなくなったんだも〜ん。

                            のりこり


=== <801> jazz/salon, LA1A-HR(堀 晃), 98/ 9/ 3 05:51, 23行, 1(15)関連
標題: 【森山研】hush-a-bye
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これは表題作に尽きますね。
これ以降、ライブでは必ずといっていいほど演奏されることになりますが、ぼくの好みでは井上淑彦さんが入った2テナー時代に井上さんがソプラノに持ち替えて演奏していたやつ。……したがって、(ちょっと先の話題に触れますが)「ライブ・アット・ラヴリー」のでもないのですね。
で……苦し紛れで、古い話に持ち込む。
「hush−a−bye」は昔……大昔……旗照夫が歌っていたのを記憶しておるのですが、本当に好きになったのは、クリスバーバー・ジャズバンドのクラリネット、モンティ・サンシャインの吹いたやつ。アタマでテーマを吹いて、あとアドリブ的作曲(?)でメロディをつないでいく。2枚組LPの最後にクラ・フィーチャー曲として入っていて、これ中学時代に買って、40年近い愛聴盤。
モンティのクラ・フィーチャー曲は他にないのかと質問して、クリスバーバー・バンドを離れてからのアルバムを教えていただいたのは、このサロンで昨年のことでしたか。……報告が遅くなりましたが、結局4枚を入手。しかし、すべてデキシーランド・スタイルで(そして最新版……といっても1991年)、さすがに年齢だなあと感じます。ピーナッツ・ハッコーやデフランコ もそうですが。
ということで、「hush−a−bye」については、モンティと森山が好きという、不思議な組み合わせなのであります。

                          半魚人


=== <805> jazz/salon, XL4O-ENDU(遠藤 治), 98/ 9/ 3 23:43, 16行, 1(14)関連
標題: 【森山研】hush-a-byeといえば
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 もう一人思い出すのはジョニー・グリフィンであります。私の中では「東に森山、西にグリフィン」という感さえあります。  グリフィンには、コペンハーゲンはカフェ・モンマルトルのライヴで、タイトルもずばり『ハッシャバイ』という1967年録音の名盤があります。
最近は国内盤でも紙ジャケット仕様でCDが再発されたようですが。
 ケニー・ドリュー(p)、ニールス・ペデルセン(b)、アルバート・ヒース(ds)による爛熟した伴奏と、サブトーンがぐいぐいと迫るグリフィンのテナーが実に気持ちいいのであります。グリフィンが「ハッシャバイ」を演奏したものでは、『ケリー・ダンサーズ』という佳盤もあります。
 どなたかジョニー・グリフィンと森山さんでアルバムを作ろうと考えるプロデューサーはいらっしゃらないものでしょうか。ピアノはもちろん山下さんで、「ハッシャバイ」の他には「レッツ・クール・ワン」と「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を是非やって頂きたいものです。

by ヨNDO


=== <837> jazz/salon, IB9S-YSI(吉井 誠一郎), 98/ 9/15 01:46, 39行, 1(9)関連
標題: 【森山研】「hush-a-bye」
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まずは1曲めの「SUNRISE」です。最初、どことなく最近の演奏に比べてテンポが遅いような感じを受けたのですが、よくよく聴いてみると実はテンポはさして違わず、テーマ部分(特に前半)の叩き方が違っていたのでした。
つまり、最近の演奏では、右手のシンバル+ベースドラムをメロディ・ラインに合わせ、その隙間を細かい左手のスネアで埋めて、全体としては16分音符(でいいのかな?)の連続という形にしてテーマ前半を叩いているのですが、本アルバムでは同じ部分を右手のレガートとスネアで叩いており、しかも左手は右手と同じようなタイミングで入っているので殆ど聞こえないのですね。そのために聴いた時のスピード感が違ったのではないかと思われます(ただし、森山さんのソロからテーマに戻る時の合図として現在のテーマ部分と同じフレーズが出て来ています)。その他の部分については、ソロも含めて基本的に「FLUSH UP」とだいたい同じだと思います。

2曲めのタイトル曲「hush-a-bye」の演奏については、今もあまり変わっていないような気がします。スタンダードを普通に4ビートでやる、というコンセプトであるため、変わりようがないのかも知れません。こういう演奏になると、やはりエルヴィン的なカラーが強くなるように感じられます。

3曲め「NORTH WIND」と4曲めの「LOVER MAN」はぐっとスローな曲となっています。しかし演奏はあくまで硬派であり、たいへん濃密な音となっています。特に「LOVER MAN」は物凄くブルージーでとてもいい感じですね。向井さんのトロンボーンが効いています。

最後の「SNOW TIGER」は再び早めのテンポの曲で、作曲は森山さんとなって います。森山さん作曲の曲としては珍しく(?)わりとメロディックなテーマを持った、ブルース形式の曲であります。なんか森山さんの曲というと、山下トリオ時代の「さて」「ハチ」「テイク・ワン」「クレイ」から、最近の「マナ」「Dr. FUJII」に至るまで、テーマは短いリズム・パターン一発、という印象があるのですが(そしてそういう曲での森山さんの爆走はまた凄 いものがあるのですが)、実はこういう曲もあったのですね。目立たぬものの、控えめな佳品であると言えましょう。

このアルバムは、その後現在に至るまで演奏しつづけることになる愛奏曲が2曲も入っているという意味で、「FLUSH UP」とともに、山下トリオ以後の森山さんの方向を決定したアルバムのひとつと言ってよいでしょう。

ぶる


=== <838> jazz/salon, XL4O-ENDU(遠藤 治), 98/ 9/17 23:27, 21行, 1(8)関連
標題: 【森山研】『ハッシャバイ』の頃
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 『ハッシャバイ』に参加していた小田切一巳さんは独自の哀愁をまとった素晴らしいサックス奏者で、また森山カルテットとしてのまとまりも非常に良かったと思います。私は小田切さん時代に2回ほど新宿ピットインで聴いていますが、アルバムに収められたナンバー以外には「ブルー・ボッサ」のようなスタンダードも演奏し、ダイナミクスと寛ぎが同居した素晴らしいグ ループだったと記憶しております。また、カルテット丸ごとがゲストでFM東京の「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」に出演したこともありました。
 ところが小田切さんは不幸にも病気で亡くなってしまいます。私の記憶が確かなら、小田切さんが亡くなった後、しばらく森山さんのバンドはサックス奏者が不在のままピアノ・トリオとして活動していたはずで、その時にNHK・FMの「セッション79」だったか「〜80」だったかに出演していたはずです。
 なぜ記憶が曖昧なのかというと、実は後任のサックス奏者・国安良夫さんも交通事故で亡くなってしまったのです。それでピアノ・トリオで活動していた時期が分からなくなってしまっているのです。どなたか、この辺の経緯を把握していらっしゃる方はお教え下さい。また貴重な放送録音をお持ちの方は、ぜひレポート願います。

by ヨNDO


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