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  中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(筑摩書房)

 
 中野晴行氏による酒井七馬の評伝というかノンフィクションというか、ともかく中野氏の最良の仕事のひとつであろう。
 そして日本のマンガ史上のひとつの空白を埋める労作である。
 酒井七馬については「新寶島の幻の共作者」であり「悲惨な最期を遂げた」マンガ家という……まさに「通説」しか頭になかった。
 酒井七馬の研究は、中野氏にとっては、手塚マンガの研究家の立場からも、また処女作『路地裏のマンガ家たち』との関連からも、そして『マンガ産業論』の視点からも、長年気になっていた謎の存在であったようだ。
 その七馬の生涯を、例によって粘り強い調査力で解明していく。
 第一部はほとんど知られることのなかった七馬の幼年時代から終戦を迎えるまでの経歴を追う。ここで重要なのは早くからアニメに関わっていたことで、特に……意外にも、大河内伝次郎の存在が大きい。大スターというだけでなく、アニメの可能性にも理解を示す映画人であるところがいい。
 第二部が戦後の赤本時代で、第一部が文献と伝聞がメインなのに較べて、中野氏の筆は俄然躍動する。『新寶島』に七馬が果たした役割や、伝えられる「部数」の謎まで、まさに本領発揮である。
 第三部は、『新寶島』以降の晩年……七馬の内面ではある種の挫折があったのかもしれないが、決して「通説」のような悲惨な晩年ではなく、紙芝居や絵物語に回帰し、死の前年まで仕事を続けている。裕福ではないが貧困ではなく、決して悲惨な最期ではない。
 「餓死伝説」の誤解を解き明かして「大団円」で結ぶ終章は感動的である。
 七馬の享年は63歳。手塚治虫よりも長生きであったのだ。


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