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  半藤一利『荷風さんの戦後』(筑摩書房)

 『永井荷風の昭和』につづく半藤「歴史探偵」による荷風の戦後足取り調査。
 
 荷風を「荷風さん」とか場合によっては「この爺さん」と書けるのは、今では半藤一利氏だけであろう。荷風の死亡現場に立ち会って週刊文春に特集記事を書いた記者……という以前に、荷風を含む日本文学に造詣が深かく、それだけに荷風への敬愛も深い。
 『永井荷風の昭和』(文春文庫)が「断腸亭日乗」をベースに荷風の昭和時代を描いたのに対して『戦後』では敗戦後(66歳)からを徹底して検証してある。
 松本哉氏『永井荷風という生き方』が断腸亭をベースに老年のライフスタイルを考えるものだったのに較べて、こちらは徹底して荷風の生活と思考を推理する。
 それは、戦後の荷風作品に見るべきものがないという(特に石川淳の)評価に対する反証でもある。
 しかも「昭和」とのエピソードのダブリがほとんどないところが凄い。
 たとえば……「女性関係」については調べ尽くされているはずが、たった1行(昭和21年12月22日にある「家人」の一語)から、未知の女性の存在を嗅ぎつけるところなど、「歴史探偵」を自称する著者の面目躍如である。(※)
 最終的には晩年の「正午浅草」「正午大黒屋」列記の意味に及び、荷風の戦後が戦前とも変わらぬ反逆的な生き方をしていたことを検証している。
 といっても堅苦しい本ではない。
 冒頭の(著者の)エピソード。嵐山光三郎が谷崎役、半藤一利が荷風役で、ふたりが疎開先の勝山ですき焼きをたべた同じ部屋でそれを再現する……そんなところから始まっている。荷風を理解するためには、一度は「なりきってみる」のも手であるなあ。
 といっても、もう玉の井も亀井戸も残ってないし。大黒屋のカツ丼は特にうまいものではないし。中国勝山なら実家から行ける距離だから、すき焼き食べに行ってみるか……。
(2006.11.22)

※荷風が市川から仕事場としてよく通った海神の「相磯氏の別邸」について、半藤氏は「どう考えても(相磯氏の)「妾宅」であったと思えてならない」と書き、通う回数が多いのにそれらしき人の描写がない。一ヶ所「家人」が出てくるが……と推理を働かせている。
 で、ちょっと思い出して松本哉『荷風極楽』(朝日文庫)を見たら、「葛飾あたり見聞記」の章に同じ推理があった。松本氏は海神の別邸跡を訪問したついでに舟橋西図書館で行政PRの本を調べ、その中に「相磯勝弥が海神の一隅に妾宅をもうけていた」という記述を発見している。あとは半藤氏と同じ推理で「これ以上の詮索はやめよう」と結ばれている。
 松本氏が先行したようだが、ホームズと清張型刑事(脚で捜査…まさに松本)の推理合戦みたいである。
 そのことだけ追記しておきます。(2006.11.23)


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