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  『寝ずの番』

 噺家の通夜というのに、おれは行ったことがない。
 いや、弔問に行ったことはあるが、一門だけでの夜通しの席というのは知らない。
 無礼講というか、師匠をサカナに飲むというのは、活字では読んだが、実態はどんなものなのか。
 活字でいちばん詳しいのは、圓丈『御乱心』にある圓生の通夜だろうけど、これもまあ普通の通夜のようである。
 中島らもさんが書いた『寝ずの番』は、そこで回想されるエピソードは相当リアルなものだが(もっとすごい話が色々ある)、通夜の夜がいったいどんなものなのか。
 やっぱり松鶴をモデルにしないとリアリティがなくなってしまうだろう。
 米朝一門ではこのハメの外し方は想像できない。
 
 で、マキノ雅彦が第1回監督作品に中島らもの原作を選んだセンスはなかなかのもの。
 脚本は大森寿美男で、原作にほぼ忠実である。ということは「3部構成」になるわけで、オムニバスとはちがうが、この構成はもう少し工夫があってよかったように思う。
 色々なエピソードがちりばめられているが、これは松鶴一門に限らず、むしろ米朝一門がらみで聞いた話に似たのが多い。特に歌之助ネタなど。
 新人・マキノ雅彦の力量、たいしたものである。津川雅彦がちょい役で出てくるかなと思っていたが、1カットも出てこない。これも監督としての矜持か。
 芸達者が多くて、それぞれいい味を出しているが、特に一番弟子の笹野高史がずば抜けている。ちょっと想定より老けていているが、先代文我師匠に似ているのがなんともおかしい。
 中井貴一は好演だが、やっぱり上方の噺家に見えないところがちょっと弱いかな。
 チラシに「いっぱい泣いた。その倍、笑った」とあるが、おれがホロリとしたのは、最後のクレジットで、「落語指導」として桂吉朝、桂吉弥の名が出てきた時だった。
 そうか……。この撮影時、吉朝さんが現場で指導するのは無理で、吉弥さんが指導したのだろうが、原作も含めて、落語の「流儀」や「しきたり」については、おそらく、桂吉朝→中島らも→映画化作品という流れで伝わっていったということだろう。
 つまり、この作品には吉朝さんの血が流れているのである。
 思いがけないところで吉朝さんとすれ違ったような気分だ。
 確認しようにも感想を聞こうにも、吉朝さんはもういないわけで、ついホロリの余韻。
(2006.5.1)


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