HORI AKIRA JALINET
梅田地下街略図

梅田地下オデッセイ

 どんな周期で起こる現象かは知らない。巨獣のうめき声に似た重苦しいうなりが、どこからともなく地下道に響きわたることがある。吹き抜ける風のようにも聞えるし、地底から伝わってくる地鳴りのようにも聞えた。それは、天井を一面にうねって走る排気ダクトや壁面に埋め込まれたおびただしい配管、それに地下通路自体の固有振動数、それらの振動のモードが何重にも重なりあった時に生じる低いうなりだ。おれはそう理解していた。
 地下街の騒音に包まれて生活していた時、そんなうねりに気づいたことはなかった。騒音にまぎれて聞きとれなかったのかも知れない。が、おれはむしろ可聴域が拡がったような気がする。音に敏感になっているのだ。
 音に敏感なのはおれだけではない。
 おれの左腕の中で、ボロ布にくるまれたひと抱えの肉塊が、地下道のうなりに呼応するように声をあげた。怯えている声ではなかった。歯のない口からもれる意味のない声は、敵意のこもった獣のうめきに似ていた。体に比べ異様に大きな頭に収められた聴覚中枢は、おれとはちがった聞き取り方をしているのかもしれない。
 異様なのは聴覚だけではなかった。眼球は半ば飛び出していて、ほとんど瞬くことはないのだが、光に敏感に反応している様子は明確だった。ほんのわずかな螢光灯の点滅に、瞳孔が敏捷に動き、やはり意味のない声をあげたことがある。体毛のまったくない、青白い皮膚もそうだろう。換気ダクトから流れ出す気流のかすかな変化、空調装置でも制御できない程度のかすかな気温の変動に、やはり敏感に反応しているふしがあった。
 嬰児は一般にそうなのだろうか。おれは比べるべき嬰児を周囲に知らない。ただ、頭が異常に大きく、絵で見る四ヵ月目ほどの胎児がそのまま大きくなったような体形は、どう見ても正常なものではなかった。
 その子供を生んだ女は三日前に死んだ。死体はまだ埋葬していない。腐乱する気配はなかった。大量の出血で衰弱死した体は、単に嬰児を保護するためにのみあった肉の容器のように思えた。再生不可能なまでに毀れただけだ。
 死体はそのまま残しておけばいい。これほど墓地にふさわしい場所はなかった。おれは昔観た密林を舞台にした活劇映画を思い出した。象の墓場は滝の裏側の洞窟にあった。そして、ここはまさに小さな人工の滝の裏側だったからだ。
 おれは相変らず低いうめき声をあげる嬰児を左腕にかかえて、その店を出た。
 欧風のレストランの入口付近には、陶器の置物やウイスキーの壜の破片が散乱している。乱闘の跡だ。通路の両脇に掃き寄せられたように集められているところを見れば、ずっと以前のことだろう。
 割れて跡形もないガラスの扉の外は、さほど大きくはない広場になっている。模造レンガで作られた壁と天井は高く、ヨーロッパの寺院に似せた造りだ。右手に所どころ毀されたステンドグラスが張られ、裏側の照明も部分的には残っている。暗い紫色の明りが、前の小さな人工池に反射して揺らいでいた。以前その池にはレストランの上側から、カスケード状の人工滝が流れ落ちていたのだが、今は錆くさい水がよどんでいるだけだ。石柱にはまだ銅板の標識が残っている。〈ファンタジーの広場〉の文字は薄暗がりの中でも読み取れた。
 梅田地下街の北端だった。
 今は停止したままのエスカレーターを登れば、大滝と称する十メートルほどのシャワーがあり、遊園地の乗物のようなゴンドラが吊り下げてある。そこが地下街の北の行き止まりだ。階段を登れば地上への出口につながるはずだった。が、エスカレーターの上側で、通路には厚いシャッターが下され、開く気配はなかった。この広場にたどり着いてから、一度も開いたことはない。明日は開くかもしれない、という期待だけで居つづけただけだ。やがて、期待は薄らぎ、偶然を夢想するだけで、出口を求めて移動することをやめた。飢える心配がなかったからだ。
 この場所には長く居すぎた。おれは不意にそう思った。
 南へ行こう。おれは衝動に近いものを感じた。南には必ず出口がある。それは確信に似た予感だった。なぜ急にそんな衝動に駆られたのか、自分でも不思議だった。生れつき怠惰なおれが、追いたてられることなく動くなど、信じ難いことだった。だが、ごく自然に、おれは決意した。
 自分の意志で行動するのは、地下街に住みついて以来、初めてのことではないだろうか。いや、正確には、地下街に住みついたことすら自分の意志からではなかったはずだ。おれは浮浪者が流れつくように地下街に入り込んだ。あれはいつのことだったか。秋だったはずだ。街の風が冷たくなりはじめた頃だ。もう一年になる。
 あの異変が起こったのはいつだったか、日付けは思い出せない。だが時刻は正確に覚えている。午前十一時だった――。

 天井から一本のパイプで吊り下げられた時計が十一時を指そうとしていた。時計は箱形で四面に文字盤がある。
(あの箱の中には四個の時計が入っているのだろうか、ひとつの機械で四面の文字盤を動かしているのだろうか……)
 おれは地下街の支柱にもたれて、そんなことを考えた。
(ひとつの機械で四面表示……何かに使えないかな。自動織機の稼働率表示装置。工場のどこにいても運転状態が一目でわかります)
 おれは頭の中で漠然と装置をレイアウトし、カタログの文案を考えた。そして、三週間前から、もうそんなことを考える必要のない身分になっていることを思い出して、気が滅入った。
 おれは駄目な男だった。二年浪人して地方大の工学部に入り、目立たぬ成績で、「軸受の摩耗について」というありふれた卒論を提出してどうにか卒業し、大阪近郊にある繊維機械のメーカーに就職した。従業員が百人に満たない会社だった。構造不況の最たる会社に細々と機械部品を納入していた。「繊維相手ではもうあかん。きみには脱繊維を目指して新しい商品を開発してほしい」油で汚れたジャンパー姿の“設計部長”はそういった。それは会社の方針として正しいとおれは思った。が、五年あまり勤めて、おれは何ひとつ期待に応えることができなかった。ヒット商品が作れなかったのではない。何ひとつ新しい製品を思いつけなかったのだ。従来の製品のデザインを変えてみる程度の発想しかおれにはできなかった。職人肌の“設計部長”は二年でおれに愛想を尽かした。三年目からおれは営業部に配置替えされた。「この時勢やから大きな売り上げは期待せん。むしろきみは技術屋の眼で、新しいニーズを把んできてほしい」営業部長はそういった。それも正論だったが、おれはやはりまともな企画も出せず、新しい客先も開拓できなかった。四年目から現場に廻された。若い旋盤工が会社に見切りをつけて次々とやめていったあとの補充用員としてだった。「機械科出たんやったら、旋盤くらい使えるやろ」おれの仕事ぶりを知っている職長は意地悪くいった。職長は現場でおれをいじめるのを楽しみにしていたふしがあった。おれはその期待も裏切った。半年で彼はおれの能率の悪さに悲鳴をあげた。おれは再び設計に戻された。前の設計部長は退職していて、社長が大手の自動車メーカーからスカウトしたという、三十半ばの男が部長として入社してきたばかりだった。酒で問題を起こして馘首になったという噂だった。自動車に比べ、繊維機械を最初から軽視している様子だった。自動車のコンピュータ制御を研究していたというその男は早速その技術を繊維機械に応用することを企てた。織物の製造工程をモニターして全工場を制御するというシステムは確かに優れた装置と思えた。開発の最初の段階から、部長はおれに何の期待もしていないようだった。ごく簡単な図面のトレース程度しか仕事が廻ってこなかったからだ。おれにはその方が気が楽だった。一年余り経って、システムの完成の目処が立った時点で、男はめぼしい社員数人を引き連れて会社を辞めた。そのシステムを売る会社を作ったのだ。むろん、おれには声はかからなかった。今度は社長自らが部長を兼任して、対抗できるシステムを作れと命令した。おれは初めて自分の無能さを実感した。一年以上関りながら、おれは新しい技術を何ひとつ学びとっていなかったのだ。しばらくして、おれは会社を辞めた。転職のあてもなく独立する気概もなかった。居づらいことは以前から居づらかったのだが、それ以上に、会社の先行きが完全に見えたのだ。わずかでも退職金の出るうちがいい。それだけの理由だった。が、おれにできる仕事がそう簡単に見つかるはずがなかった。失業保険で差し当り生活するつもりだったが、金は簡単には貰えなかった。職安の窓口の男は、おれに就業意欲のないことを職業的な観察力で一目で見抜いたようだった。男はおれの履歴書を見て小さな鉄工所への面接を執拗に薦めたが、売るべき技術がないことはおれ自身が一番よく知っていた。おれは当座の生活にも不安を感じ、新聞の求人欄で、今までの給料の倍近い月収と“海外研修制度あり”という文句に惹かれて、教育機器のマーケット・リサーチの説明会場へ足を運んだ。そして翌日から、街娼が盛り場の暗がりに立つように、おれは百科事典のセールスマンとして梅田地下街の一角に立つことになった。
 二年前に作ってあまり着ることのなかったブルーのスリーピースを着、アタッシュケースを下げて梅田地下センターに足を踏み入れた時、おれはそこが自分に最もふさわしい環境であることを体中で感じ取った。理屈抜きに素晴らしい環境だった。快適な空気と照明に満たされ、心地よい音楽が流れていた。深呼吸して大声で叫びたいほどの気分だった。地下街の円柱にもたれて、いつまでもじっとしていたい気持ちだった。
 おれは三日つづけて、地下商店街が開店する時間にやってきて、最終バスの時間まで地下街にいた。毛馬橋を渡ったところにある木造アパートよりも遥かに居心地がよかった。四畳半の暗い部屋には、夏が過ぎてからなめくじこそ出なくなっていたが、共同便所の臭気が漂ってくるし、右隣りの老人は昼間もテレビをつけっぱなし、左の部屋には幼児をかかえた中年のホステスがいて、泣き声が絶えなかった。
 仕事をしない限り、地下街はおれの理想郷だった。十日あまり、おれは梅田地下街を歩いた。
 一口に梅田地下街といっても、正確には、阪急三番街、梅田地下センター、堂島地下センターの三つの地下街が何本もの地下道で結ばれていて、三本の地下鉄と一本の私鉄が乗り入れてそれぞれのターミナルを構えている。北端の阪急プラザから南端の堂島地下センターの毎日ホール地下まで、直線距離で千二百メートル、東の泉の広場から西の阪神ホテルの地下まで、七百メートル以上ある。この地域の地下に、翳りのない照明と清潔な空気に満たされた広大な地下世界が拡がっているのだった。
 そろそろ自分の仕事場を定めなければならなかった。アタッシュケースには英語の百科事典を売るための売買契約書が入っている。パンフレットの表紙には、プロ野球のチームの名前だけで聞いたことのあるアメリカ東部の都市にある、一番大きなビルの写真が刷られている。それが、初めて聞く百科事典の出版社だというのだ。
 気の弱そうな学生かサラリーマンを呼びとめて「英語について二、三の質問をさせていただきますが、最近お仕事で英語の必要性をお感じになることはございますでしょうか」と切り出さねばならなかった。いつまでも地下街の快適な空気に浸っている訳にはいかないのだ。
(今日こそ始めよう)おれは自分にいい聞かせた。
 おれは持ち場を梅田地下センターの中央に定めた。阪急デパート東側のコンコースを地下に降りた所で、通行量の最も多い場所だった。円柱にもたれて時計を見上げる。午前十一時になろうとしていた。まだ人通りは多くない。
(正午になったら始めよう。まだ英語を必要とする人間の通る時間じゃない)おれは嫌な仕事をなるべく遅らせようと自分で理屈をつけた。(まだ一時間あるな)おれは時計を見上げたまま動かなかった。四角い文字盤の両側には〈リッショー〉〈ワリショー〉と書かれている。蓄財方式の一種らしいが、おれはどんなものか知らない。一生縁のなさそうな言葉だった。
 時計が十一時を指した。おれは遅れがちな腕時計を合わしておこうと思った。
 その時、それは起こった。
 最初、聞き覚えのある音が耳に入った。おれは一瞬錯覚した。いつも地下街の閉店間際に聞く音だったからだ。阪急コンコースに続く階段の下にあるシャッターが下り始めているのだった。階段を降りてきたばかりの四、五人の通行人は、足早に通り過ぎ、怪訝そうに下降しつつあるシャッターを振り向いて、それぞれに去っていった。やがてシャッターは閉じ切り、両側の防火扉がゆっくりと閉じた。午前十一時というのに、阪急コンコースへ登る階段は深夜のように閉ざされた。
(防火訓練だろうか)最初おれはそう思った。時々この通路で発煙筒を焚いて模擬火災を起こして避難訓練が行なわれることを、新聞で読んだ覚えがあったからだ。
 が、そんな気配はなかった。通行人が戸惑ったように左右に迂回して行くだけで、何の混乱もなかった。
 しばらくして、地下センターの売場の店員らしい男が現われ、閉じたシャッターの前を往復し、通路の反対側にある靴の修理コーナーから、若い男が走っていった。二人はしばらく立ち話をしてから、東隣りのポリボックスに入っていった。二人の男に連れられて警官が通路に現われた時、再び例の音がした。今度は階段を降りた正面の通路、地下道の南の方向らしかった。おれは円柱の位置から時計の吊された下まで歩いていった。そこから音のする方向が見えた。
 今度は書店の横にある、地下鉄東梅田駅への通路のシャッターが下降しつつあった。人通りはほとんどなかった。二、三人があわてて走り込む姿が見えた程度だ。が、同時に西側の梅田アーケードへ抜ける通路のシャッターが降り始めたのを見て、やっとおかしな気配を感じた。出し抜けに、今度は背後でけたたましい音が響いた。すぐ後ろの洋品店のショウウィンドウの前に、閉店時間を告げるかのようによろい戸が下され始めたのだった。
 店内がざわめく気配がした。女店員の甲高い声がシャッター越しに聞えた。それが合図でもあったかのように、東の泉の広場の方向のシャッターと西の阪神デパートの方向の防火扉が同時に音を立てて動き始めた。
 地下街に金属板の擦れる音が充満した。おれは周囲でいっせいに動き始めた防火扉の中央で立ちすくんだままだった。

梅田地下街略図

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