佐藤文隆・井元信之・尾関章『量子の新時代』(朝日新書)

 副題というか、タイトルに小さく「SF小説がリアルになる」と添えられている。
 最近の量子力学の流れを解説するものだが、イーガン以降のSFの背景を解説する「副読本」としても興味深い。
 
 イーガン以降のSFが大きく変わったのは間違いなく、それは乱暴な言い方をすれば、背景の科学が、相対性理論から量子力学に変わったということだろうか。あくまでも大ざっぱな区分けである。それは『宇宙消失』(1992)に顕著で、冒頭のとんでもない宇宙の異変に驚かされるが、意外にも「量子論」で展開されるのである。量子コンピュータが話題になる少し前であり、エヴァレットの多世界解釈が再評価されだした時期である。
 イーガン以降のSFは、むろん面白いのだが、印象が従来の(特に宇宙SFに覚える)センス・オブ・ワンターとはまるで異なる。
 どこがちがうか。おれは漠然と(むろん量子力学への理解不足があるが)、量子論SFは理論的には面白いが生理感覚(主に視覚)に訴えるところが少ないからではないかと思っていた。
 本書はある公開講座の議論をベースに、
 第1部では尾関章氏(科学記者)が最近の量子論の動向を「体験的に」(主に海外駐在時の取材経験をベースに)紹介し、
 第2部で、尾関氏が井元信之教授から量子暗号や量子コンピュータ、量子テレポーテーションまでを聞き出すかたちで、最新の研究が解説され、
 第3部では、佐藤文隆教授による、主にアインシュタインの量子力学批判の再評価を中心に科学史的検証が行われる。
 それぞれ面白く刺激的だが、おれには尾関氏による第1部が特に面白かった。
 第1部は「量子の食わず嫌い」読者のために「科学記者の視点で」「イメージで量子世界に迫ってみよう」という試みだが、量子力学の「どこがなぜわかりにくいのか」ということについての体験的報告でもある。
 科学に限らず、「わからない」という場合、「どこがわからないのかわからない」というのがほとんどで、「わからないところがわかれば」半分以上理解できたようなものである。
 尾関氏は学生時代から「数式を操るのはめっぽう苦手だったが、数式の意味には最後までごだわった」結果、「イメージ」で納得しようとする。……が、それが通用しないのが量子力学で、特に「電子の雲」に戸惑う、「量子の迷路は、まさに、この一点にあった」……感動的であるなあ。おれは、まさにこのパターンであったのだ。
 理系の人間がすべて数式の展開にたけている訳ではない。おれは方程式は立てられるけど展開ができないタイプで、まして機械工学なんて古典力学の世界であって、会社生活30数年間でも、微分方程式を解く機会なんて皆無だったもの(大部分の同級生だってそうではないかい。シュレーディンガー方程式が仕事で必要だったなんてのは皆無だろう)。SFのための科学はほとんど独学だけど、特殊相対論までは理解できても量子力学は数学的理解には壁がある。要するに数式からイメージがわかないということかな。これはおれにとっての「のどに刺さったトゲ」みたいなものである。
 尾関氏はロンドン特派員時代に第一線の研究者に取材しつつ、量子世界のイメージ理解を転換させる。
 ・物事は、いつもひとつに決まっている。
 ・物事は、わたしが見ていようがいまいがずっと続いている。
 このふたつを、
 ・物事は、もともといくつもの状態が重なり合っている。
 ・物事は、私が見ている瞬間ごとに、とびとびに決まっていく。
 に変換させる。
 これが量子力学の「新しい攻略法」となる。
 ……以下、面白い取材経験や、例として引かれる小説など(当然イーガン『ひとりっ子』も!)ともかく面白く、量子世界の解説であるとともに、新時代のSF解説書としてもきわめてレベルの高いものだと思う。
 その他、面白い点を紹介しだしたらきりがないのでこのへんで。
 ともかく、おれにとっては、SFの読み方・面白がり方・表現方法に色々なヒントを与えてくれる刺激的な一冊である。
(2009.7.16)


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